ひわの葉薬(トップ) > 夜宵さまと僕 > 71〜80


 

71

 今日、いつものように買い物をしている途中、まだ日本にいる僕の知人(友人からランクダウン)である医者・雅巳さんからまた呼び出しを受けました。また奥さんと喧嘩したので家事を手伝ってほしいということで。今度の喧嘩の原因は、「ミスターサタンとヤムチャはどっちが強いのか」だそうで。ああ、雅巳さん、雅巳さん、僕に電話する前にセルフ開頭手術でもしてみたらいいんじゃなかろうか。きっと何か色々と不思議なものが出てくると思う。

 

「こんにちは雅巳さん。相変わらず一人じゃなんにも出来ないんですね」

「うん。お前がいてくれて助かってるよ」

「あっさり役立たずだと認める前に家事のひとつでも覚えたらいかがですか」

 

 いやみを吐くも雅巳さんは無表情のまま。ストレスがフツフツと胃に降り積もってゆきますが、雅巳さんを怒っても疲れるだけなので何もしません。昔からそういう人でした。

 今日の僕に課せられた仕事は、風呂掃除と部屋の掃除でした。横暴だと思いつつも、ちゃんとお金は払ってもらえるので何の文句も言えません。さっそく小林製薬のヌメリとりとスポンジを片手にゴム手袋を装着して風呂場へ赴きます。

 

「……うわっ、雅巳さん。なんだか風呂場中に磯の香りが充満してるんですけど」

「ああ。風呂の水抜いといたけど、まだ残ってたか。いや、一週間くらい前から水そのまんまだったからしょうがないよ」

「しょうがないよ じゃない。水を抜いてもまだ残ってる匂いって気色悪すぎです。……うわっ、風呂底が茶色い!」

「あー、本当だ。これって垢かなあ」

「きったなっ!」

「ダシの残りって感じだな」

「雅巳さんのダシですか」

「奥さんのも入ってるだろうけどな。ちょっとだけ。……これがダシの残りかすだとすると、先ほどまで浴室に充満していた磯の香りはかつおダシとかコンブダシみたいなダシの匂いなんじゃないだろうか」

「ないだろうかって、そもそもそんないい匂いじゃなかったですよ」

「人体からもグルタミン酸とかコハク酸とかグアニル酸とかとれんのかな……だとすると浸かり続けて一週間ほど寝かせたダシが一番いいんだろうか。いや体型による脂肪量や体質や皮膚の状態にもよるし……男女差は出てくるんだろうか。その前に体毛の量や発汗も関係してくるか……」

「ちょ、雅巳さん? 雅巳さん? 何でそんなに興味を示してるんですか?」

「なあ、イベリコ。ちょっと味噌汁の作り方教えてくれないか」

「……言っときますけど、出来ても食べませんよ僕は」

「一週間くらい後にまた来てくれればいいから」

「だから食べないって言ってるじゃないですか!」

 

72

 買い物帰り。公園前を歩いていますと、なにやら女性二人と男性一人が言い争っております。スリーサイズがドラえもんくらいありそうな女性がもう一人の女性に向かって一方的にまくしたて、男性がそれを必死で止めています。痴話喧嘩か何かかなあ なんて思いましたけれども、関わり合いになる気なぞ毛頭ありませんのでさっさと立ち去ることに しようとしたところ 今までまくしたてていた方の女性がすさまじい泣き声を上げながら彼方へと走り去り、男性があわててそれを追いかけています。今の一瞬で、いったい何が起こったのでしょう。

 

「あら、イベリコ」

「うわっ!」

 

 背後霊のようになんの気配もなく後ろで声がして振り返ってみれば夜宵さまがおられます。まくしたてられていたのは夜宵さまだった模様。うわ。

 

「……何が『うわ』なんですか、何が」

「も、も、申し訳ございません。驚いてしまいましたもので……あ、えと、そうだ、何をお話されていたのですか? 相手の女性が泣きながら行ってしまいましたけど……」

「ヘッタクソな話のそらし方ですが、まあいいでしょう。私の昔のお財布Nが彼女を連れていたのでちょっとからかってみたのですが、向こうが逆ギレしてきまして」

「や、お財布? 貢がせていらっしゃったのですか? Nって、イニシャルですか?」

「いえ。農民Aとか市民Bのような、カウントする意味でのNです」

「ってことはその当時最低でも十四人に貢がせてらっしゃったんですか夜宵さま……」

「ちょっと少なかったですか」

「むしろ多すぎると思いますが。夜宵さまはそのNさんの彼女に何をおっしゃったのですか」

「ええ。今日、久々にNと会ったのですけどね。向こうがどうやら今の彼女にあることないこと吹き込んでいたらしいのです。私が毎月五十万円は最低でも貢ぐように言っていたとか、親の死亡保険まで巻き上げたとか。失礼きわまりないです。私が巻き上げたのは火災保険です」

「八割がた真実なのではないでしょうか」

「それで私とバッタリでくわしたあの彼女が、ここぞとばかりに『この鬼畜女』とか『ツラしか取りえがないくせに』とか『東京湾にキリモミ三回転して沈め』とか好き放題ぬかしてくれやがりましてね。ですからちょっとハラワタが煮えくり返ってしまいまして、本音をこぼしてしまったんですよ」

「……本音……」

「『クスッ……N。さっきからあなたの連れてるその水揚げしたばかりのゾウアザラシみたいな家畜がギャアギャア騒がしいのですが、ちゃんとヒト語に翻訳していただけません?』」

「…………」

「それにしても私に貢いでいたというのにあんな輪切りにしたらチャーシュー百人前は出来そうな女とくっつくなんて、目でも腐ったんでしょうかねえ N」

「夜宵さま、僕 今日限りでお暇をいただきたいんですが」

「あらそう。ならこの世からお暇を出してあげましょうか」

「いっ、いえっ、そんな滅相もない!」

「遠慮しなくてもいいですよ。ウフフフ……」

 

73

「イベリコ……」

「は、はい……?」

「最近、私 シャレにならないほど太ってきてしまったんですけどね」

「……は、え? ど、どの辺りがですか……?」

「聞いてください! う、ウエストが! ウエストがついに六十三cmにまでなってしまったんです!」

「……あの、夜宵さま?」

「あり得ません! あり得ません! こんなこと、地球滅亡の次にあってはならないことです!」

「夜宵さま。落ち着いて深呼吸一回してから鏡をご覧ください。見た目にはむしろ健康的です。第一、ウエスト六十三cmのどこら辺がシャレにならないほど太いのですか」

「お黙りなさい犬ふぜいが! あなたのその節穴のような目がとらえなくても私の高性能レーダー並に精密な目があり得ない脂肪をとらえているのですよ! 体重なんてもう増えに増えて五十三kgです!」

「……犬って…… 夜宵さま、身長は百六十五cmでいらっしゃいましたよね。百六十五cmの標準体重は五十九kgで、現代の美的感覚に基づく理想的美容体重は五十三kgです。要するに夜宵さまは今の状態が適正美容体重で」

「貴様の薀蓄なぞケシ粒ほどの興味もありません」

「……いえ、あの」

「という訳であなたの女性観を聞きたいのですけど」

「と、『という訳』って、先ほどの話とどういったつながりがあるのです」

「あなた、類家明日香光浦靖子どちらがお好み?」

「……ええと、質問の趣旨がよくわからないのですけど……」

「光浦を選ぶなら私からの愛の鉄拳をその鼻っ柱にプレゼントしてさしあげますが」

「や、要するになんなのですか」

 

74

「ところでイベリコ。あなた、やおいが大変お好きでしたね」

「どちらのイベリコさんと勘違いしていらっしゃるのか存じ上げませんが、少なくとも僕にとっては積極的に関わりたくないジャンルですよ」

「そんなやおい大好きっコのあなたと一緒に見たい番組があるのですけどね」

「夜宵さま、僕のさっきの言葉を何事もなかったかのように無視しないでいただけますか」

「先日録画した、『実録! 男と女のサバイバルラブバトル 〜浮気相手は美少年!? 「俺はタカユキが好きなんだ!」彼の衝撃発言に彼女激怒!〜』なんですけど」

「いえ、あの、見ませんよ?」

「そんなに見たいのでしたら仕方ありませんねえ。じゃあさっそく見ましょうか。ウフフフ」

「……見たいのですか夜宵さま」

「……何を失礼なことをおっしゃりやがるんですか?」

「わざわざ録画して、しかも僕に鑑賞する上での全責任を押し付けるってことは」

「……あなた、私たちがどんな関係だと認識してるんですの」

「え、や、そりゃ、夜宵さまにとっては働く犬程度の存在だとは思ってはいますけど」

「言うなれば政治家と秘書ですね」

「そんな高尚な関係なのですか」

「武家娘と屁負い尼の関係と言い換えても良いですね」

「……へ」

「要するに、主に忠実につき従いながらその罪を背負う下僕という関係ですか」

「…………」

「もっとスゴイ罪をなすりつけられたりでっち上げたりされたくなかったら今の内に私の要望に応えるのが吉ですよ、イベリコ」

「さらりと恐ろしいことをおっしゃいましたね」

「そう……そんなに新聞の一面が飾りたいのね」

「いや、いや、そんなことないです!」

 

75

「イベリコ、コレあげます」

「ど、どうもありがとうございます……あの、コレは」

「チョコレートですけど、何か? 何もないのでしたらさっさとお食べなさい」

「……承知しました……」

「ウフフ、お味はいかが?」

「……期待した味はしませんが、特にこれといってまずくはないです」

「あらそう」

 

 それにしても夜宵さまが僕に何かくださるというのは非常に珍しいことです。いったいどういう訳なのでありましょう とチョコレートのパッケージを見てみたところ、賞味期限が2001年3がつ「ゴフッ」

 

76

「あれ……や、夜宵さま? このような場所で、いかがなさいましたか」

「あら、イベリコ。こんな場所とは失礼ですね。午後3時のおもちゃ屋は小学生が群れ集いくんづほぐれつと大変な騒ぎじゃありませんか」

「大変なのは夜宵さまですよ」

「何か言いました?」

「……いえ……」

「はっ! イベリコ、今、私の少年レーダーが反応しました! ちょっとおいでなさい!」

「い、痛い、なんなのですか その嫌なレーダーは」

「あれ、あれです」

「……あ、あれですか? 見た目 中学生男子の少年二人が手をつない歩いていますね」

「二人とも顔が並以上で大変よろしいですね……フフフフ」

「夜宵さま、怖いです」

「それにしても、女の子はよくしますけど、男の子も同性同士で手をつなぐのですねえ」

「僕も初めて見ました。女の子文化が流入したのか、同性同士の嫌悪が薄くなってきているのか……」

「あなたは野郎と手をつないだことはないんですの? 思春期になると男女両性ともに同性愛的な友情を築くものだそうですけど」

「ありませんよ。気色悪い」

「まあそれが従来の観念なのでしょうねえ。時代遅れのわんこはこれだからいけません」

「わんこ!? どこの誰がですか!」

「あなた以外に私が飼っているわんこはいませんよ? それにしても、今の時代は少年同士の乳繰り合いに思いのほか寛容になっているのですね……ああいい時代です、私 今すぐにでも小学校の校長になりたいくらいです……」

「…………」

「……何か言いたいことがあるのなら言ったらいかが? イベリコ」

「……あの、」

「お黙りなさい」

「!? いえ、まだ申し上げてないのですけど!?」

 

77

「イベリコ、『インストール』を見に行きましょう」

「ああ、上戸彩の主演映画ですね」

「ハン! 上戸なぞ神木隆之介君の犯罪的な可愛らしさの前では月とグラビアアイドルですよ?」

「男性としては月よりグラビアアイドルだと思いますけど」

「私は手の届かない月の方にロマンを感じます。下劣な殿方の嗜好への興味など毛頭ありませんよ。そんなことより! そんなことより神木隆之介君です! 可愛い! 可愛すぎです! 今すぐにでも連れ去りたいくらいです!」

「おやめください」

「ところでイベリコ? いくらわんことはいえあなたも殿方の末端にはいることですし、あなたから見て美少年はどうですか?」

「……ええとですね、その質問もそもそもどうかと思いますけど、その前に僕はわんこでなくて人類です。ホモサピエンスです」

「同性愛者なのですか。なら美少年はたまりませんよね」

「違います! 『ホモ』しか聞いてらっしゃらないでしょう夜宵さま!」

「という訳で同じ美少年好きとしてこの映画ははずせませんよね!」

 

 ……夜宵さまと同類ではないですよ僕は。

 

「……どういう意味かしら」

「ぎゃあ! 心を読まないでください!」

「悪いと思っているなら謝ってもらいましょうか? ホラ、謝りなさい。寛大な私ですから今すぐ謝るのでしたら許してあげますよ?」

「う、うう……申し訳ございませんでした……」

「ではお詫びのしるしとして私に前売り券を献上してもらいましょうか」

「うわ! ものの見事にはめられた!」

 

78

「イベリコ……あなたって十mほど離れて目を細めるとはしのえみに似てなくもないですね」

「ものすごく嬉しくないのですが」

 

79

「お金で買えないモノを述べなさい」

「……いきなりなんなのですか、夜宵さま」

「いいから述べてみなさい」

「……あ、愛 ですとか……」

「ハッ!(爆笑) やはりわんこ程度の脳みそではそれが限度なのでしょうかねえ」

「(爆笑)って」

「お金で買える愛なんて腐るほどありますよ? 一度、よぉく周りを見回してご覧なさいな。お金で買えないのは『純粋な気持ち』です」

「夜宵さまにしては殊勝なご発言ですね」

「愛であれ友情であれ、純粋な気持ちは金で壊れることはあっても金では買えません。それがほしいかどうかはまた別の話ですけどね」

「そ、そうですね……」

「私があなたを従えているのも、金で買えない純粋な気持ちとやらを見てみたかったからですのよ」

「……じゅ、じゅ、純粋?」

「ほら、薄給でこき使われておきながら見えない手で首根っこつかまれてるがゆえに逃れられない純粋服従とでもいいましょうか?」

「夜宵さま、僕しばらくお暇がいただきた」

「却下」

「……0.1秒で否定しないでください」

 

80

「前々から不思議だったのですが、夜宵さまは何故 僕の他にしもべがいらっしゃらないのですか?」

「フッ……愚問もはなはだしいですね、犬」

「……なんだか近頃 夜宵さまの暴言のレベルが上昇の一途をたどっているような……」

「いいこと? 私の家で個人的に雇っているしもべは一人で十分なのですよ。他は……たとえばボディガードや運転手やお財布などは、すべて私がはべらせている男でまかなえますからね。ウフフフ……」

 

 くすくすと笑う夜宵さまの周りで、何やらまがまがしいモノがうねうねと動いているような気がしてきました。なんかこう、触手のようなものが。からめ取られたらそのまま食虫植物の口の中に引きずっていきそうな触手。

 ……前々から恐ろしい人だとは思っていましたが、ここまでとは思っていませんでした。『高飛車』とか『高慢』とか『我侭』といった庶民のレベルを10馬身ほどぶっちぎりで引き離していらっしゃいます。

 僕はやっぱり就職先を間違えたのでしょうか……ああ顔面の血液がどんどん温度を下げていきます。

 

「……さ、さようですか……夜宵さまは、そういった方々とはどちらでお知り合いになられるのですか?」

「顔が白いですよ、イベリコ。……そうですね、たいていはパーティーで捕獲しますね。たっくんを連れていったりしない方のパーティーです」

「たっくんといえば、夜宵さまはどうして可愛らしい少年がお好きですのに成人男性をはべらせていらっしゃるのですか? まあ少年をはべらせたら犯罪ですけれど」

「警察などいかようにもごまかせますけどねえ。ほら、殿方は成人じゃないとお金を持って来られないじゃありませんの」

「……すべては金ですか」

「金といいますか……山本リンダの歌で『狙いうち』って歌がありましたでしょう。私はあんな感じです」

「あ、あ、あんな感じなのですか?」

「あの歌では『今に乗るわ玉のこし』って言われてますけど、私の場合 玉のこしなんざ乗らなくともお財布さんはたくさんいますから、その点はちょっと違いますね」

「より恐ろしいですね夜宵さま」

 


戻る