ひわの葉薬(トップ) > 掌編 > 7


 

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健康食品

 僕の彼女、最近 健康食品に凝っているのです。おかげで会うたびに、アガリクスだの青汁だの定番のものから、よくわからないハーブまで とんでもなくせまく深い知識をフル活用して勧めまくるようになりました。最近では、ハチの子をおやつにして食べたりしているとか。うえぇ。

 彼女のチャレンジ精神あふれる所や好奇心たっぷりで子供みたいな所はとても好きなのですが、そんなものを勧められたって困ってしまいます。けれど彼女はそれが気に入らなかったようで、ウニュウニュ動くハチの子を僕の鼻先に押し付け「食べてよ! あたし、あんたにも健康になってほしいの!」と言い募り、いやそんなもん食べて得られる健康なんていらないと言うも結局は押し切られてハチの子を貰い受ける羽目に。

 ……さて、どうしたものか、このハチの子。乱雑に扱って死なせてしまうのもかわいそうだし、せっかく彼女からもらった(というか、押し付けられた)のですから、捨ててしまうこともできません。大体、何のハチなのかわからないのに放置するのは危険です。ここはやはり、食べるしか……あああぁ。

 という訳で、つい先日までどうしたものかと悩みまくっていた僕なのですが、意を決してハチの子を食べてみたら 意外なほどおいしくて、やあ 健康なんて気にはしないけど これなら彼女が勧めるのもわかる なんて僕も現金にハチの子を食べるようになりました。彼女もそれを聞いてご満悦です。ここのところずっと険悪だったデートも、久方ぶりに楽しい時間が過ごせました。ハチ さまさまです。

 

「そうだ、今日 うちに来ない? ハチの子 食べさせてやるよ」

「うん、いいよ。でも、ハチの子って高いでしょ。いいの?」

「いいんだ。僕からのお礼の意味も込めてるから」

 

 うちに彼女がやってくるのは久しぶりです。以前は頼みもしないのに大量のサプリメントを持ってきたり訳のわからないキノコを勝手に置いていったりして、もう二度と家に入れるものかと思っていたのですが、まさか喧嘩の原因になっていた健康食品を理由に家に入れることになるとは夢にも思いませんでした。

 家に通して、僕はちょいと風呂場へ。彼女には料理を作っていてもらいます。

 しばらくすると、おいしい夕食と ハチの子料理が食卓に上がりました。いただきます、と箸をそろえて、湯気をたてている料理に手を伸ばします。

 

「わあ、おいしい。料理、手伝えなくてごめんね」

「いいのよ。タダでハチの子を食べさせてくれるんだから」

「そう? だったらもっと食べていいよ」

 

 楽しい食事が終わり、リビングでくつろいでいると 彼女がお風呂場へ行こうとしています。呼び止めると、不思議そうな彼女の表情。

 

「……どうかした?」

「いや、それは僕のセリフだけど。トイレは向こうだよ」

「トイレじゃないってば、もう。お風呂行きたいの。いいじゃない、今日は泊めてよ」

「……い、いいけどさあ」

「あ、照れてる?」

「照れてるわけじゃない。今、風呂は使えないよ。シャワーは使えるけど」

「え、そうなの? どこか壊れてるの?」

「壊れてる訳じゃないけど」

「じゃあいいじゃない。着替え、ないんだけど、いいよね」

 

 いやあ よくないんじゃないかなあ と言う前に、彼女はさっさとお風呂場へ行ってしまいます。あああ、だめだって言ってるのに、まったく好奇心が強いんだから。

 追いかけていくと、彼女はお風呂場の戸を開けてこちらを見ています。そして何か言いたそうに口を動かしています。壊れていると勘違いしているんでしょうか。

 

「ああ、大丈夫だよ。シャワーは使えるから」

「……シャワー、じゃ、なくて」

「え? ……心配性だなあ。大丈夫だよ。今はまだ刺されたりしないよ、幼虫なんだから」

 

 その場で固まっている彼女をどかして、浴槽に横たわってる穴だらけの死体を起こすと、その全身にぶつぶつとあいた穴から 無数の白い幼虫が顔を出して うねうねと笑っているみたいに頭を回します。

 

「また来てくれれば、いくらでもタダで食べさせてやるよ」

 

 にっこり笑って穴の中の幼虫を一匹取り出すと、彼女は今まで見たことのない顔をしました。

 

オートマティック

 毎日がつまらなくて、他人なんかどうだってよかった僕が今精神的にとても安らかなのは、僕の身体が勝手に動くようになってからのことです。

 初めは自分の身体がまったく言うことを聞かず、口が勝手に動いて言葉をしゃべったり 頬や顔が笑ったり 足が走ったり 手が授業中挙がったりするのが恐ろしくて仕方がなかったのですが、慣れてみればこれほど楽なことはありません。僕が何かをしようと思わなくても手が勝手にテストの答えを書いてくれますし、面倒な体育も自然に身体が動いてバスケットボールで得点を決めたりします。以前の僕だったら絶対にあり得ないことです。

 以前は引っ込み思案で内向的な性格が悩みの種だった友人関係も、口が勝手に動くせいで適当に話を合わせたり的確なアドバイスをしたりできるようになったおかげで非常にスムーズになりました。僕が何も考えていなくても、僕の身体が常に最善の行動をとってくれるのです。素晴らしい。

 おまけに僕の身体は真面目で正義感が強く、不良にからまれている生徒を助けたり、ボランティア活動をしたりしている内に友達だけでなく後輩や親たちの評判もうなぎのぼり。僕が内心「ボランティアなんて偽善だろよ」なんて考えていたって、顔や口はほがらかに笑い、身体はゴミ拾いや作業所の手伝いを進んでやっていくのです。

 素晴らしすぎます。先日はついに生徒会長に推薦するとまで言われました。ああ、身体が勝手に動くようになって良かった。

 帰り道。以前から好きだった石井さんと一緒の下校。僕の顔は爽やかな微笑みを作り、僕の口は楽しい話を語り、僕の足は石井さんの歩調に合わせて動いています。何もかもが理想的。僕の身体はなんて賢いんだろう。密かに酔っていると、曲がり角が見えて僕の口が「じゃあ、ここまでで。また明日」と言って微笑みました。微笑みのタイミングもばっちりです。

 そこで石井さんは急に顔を上げて、「待って」と言って僕の袖を引っ張りました。そして、「今、彼女いる? いないんだったら私と付き合ってほしいんだけど……いいかな?」

 ……いいに決まってる! 僕の口もそんな僕の意識を知ってか知らでか、「僕で良ければ」と応えました。

 ああ、本当に身体が勝手に動くようになって良かった!

 石井さんの嬉しそうな笑顔と別れた帰り道。僕のマンションはもうすぐ前。こんなに幸せなことがあっていいんだろうか。心中 笑いながら 横断歩道 渡ろうとした 時

 僕が何があったか悟る前に、視界の隅に僕の目が子供を捕らえ、僕の足が駆け出して、僕の手が子供を突き飛ばして、僕の耳が高く鳴り響く車のクラクションを聞いて、 そういえば 僕の身体は正義感の強い真面目な性格で 以前の僕なら絶対に何もしないであろう子供の飛び出しを放っておくはずがなくって  そして僕の額がタイヤにグシャリとつぶされて視界 暗転

 

どこかで見た

 おや と ガラス越しに身を乗り出してみてもやっぱりわからない。向かいで楽しそうにおしゃべりをしていた彼女がみるみる不機嫌になるのを感じながらも目が離せず、結局彼女に怒られるまで、じっと見てしまって。

 

「どうかしたの」

 

 思い切り不機嫌な声。あまり彼女の神経を逆なでする訳にも行かず、「うん」と曖昧にうなずきます。久しぶりのデートに喫茶店を選んだのは良かったけれど、彼女を不機嫌にさせては元も子もありません。

 僕はフォークで外を指しながら、小声で言いました。

 

「あのさあ、あそこにいる人、どこかで見たことあるんだけど」

「え? どこ?」

「あそこ。あの、電信柱の影に……あれ」

 

 見てみると、いない。先ほどまで確かにいたあの男が、今はどこにもいません。彼女は「いないじゃない」と言いながらやっぱり不機嫌そうにサイコロステーキを一口かじりました。

 いや、確かにいたんだけどなあ。しかも、どこかで見た顔なんだよなあ。一体誰だったっけ。

 少々心残りながら食事を終えて、家路につきます。車を運転するのは彼女です。僕は助手席で、夜の黒く塗りつぶされた景色を見ながら、どうしても気になるあの男について考えていて、

 

「どうかしたの?」

「え、うん。確かにあそこにいたんだけど……」

「何が……ああ、食事中にキミが言ってた人のこと? いいじゃんそんなの。気にしない方がいいよ」

「うん……でもどうしても気になるんだよなあ……どこかで見たんだ。……あ」

「え?」

「思い出した。そうだ、あいつだ。ホラ、この前ウチに来たあいつだよ。君にしつこくヨリ戻せって言ってきた人」

「ああ……あいつか。ねちっこくて嫌な奴ー。だから嫌いなんだっつーの」

「よっぽど未練が強いんだね。デートを覗き見なんてさ」

「そうねー。ちゃんと御祓いしとかないとこういうことになるのかなあ」

 

 彼女を見ると、彼女は「あ、ヤダ」と人差し指で 口を押さえた の で す け ど

 

軽い火傷

 彼は微笑んで、コーヒーを傾けつつ 手の甲にあるその古傷を撫でました。

 

「この火傷の痕は、僕が高校生の頃、生活科の調理実習中につけてしまったものなのです。大事には至りませんでしたが、ちょっと焼いてしまった範囲が広かったものですから、こんな風に痕になってしまったのです。

 ちょうどその少し前に、僕のクラスメイトが交通事故で亡くなっていました。亡くなったクラスメイトは、僕の片思いの相手でした。クラスではそれほど目立つ部類ではありませんでしたが、可愛くて勉強の出来る女の子でした。あんまり好きだったものですから、いつでも彼女のことを考えていて、それでミスをしてしまったんでしょう。

 その日は、絆創膏を貼るだけでした。程度はひどくありませんでしたから。……けれどそれから少しずつ、本当に少しずつ、火傷の痕のカタチが変わってきたのです。

 ほら、みえますか。この火傷痕、人の顔をしているでしょう。大層 可愛らしい女の子の顔です。これが、僕の好きだった女の子の顔です。

 どうやら僕はあんまり彼女を想い過ぎて、意識せず自分の身体に人面瘡を作ってしまったようなのです。怪我をしてからすぐ、僕はそれに気付きました。手の甲にいる彼女が 僕に語りかけてくるのです。最初は驚きました。そして怖くなりました。けれども彼女はそんな薄情な僕にも優しく接してくれて、僕らはすぐに打ち解けました。はたから見ると、少々変わったカップルではありましたけどね。

 手の甲にいる彼女ですが、普通の人の前では話をしたりしません。もちろんです。そんなことをしたら、僕らは離れ離れになってしまうかもしれませんから……その代わり、彼女はうちに帰るととてもおしゃべりなんですよ。それにやきもち妬きなので、僕があんまり親しげに女性と話しているとちょっとすねたりもするんです。そんなところも可愛いのですけどね。

 ……風呂から上がって 彼女の好みの音楽をかけながら 彼女とおしゃべりをするのが僕の日課です。そんな日々を過ごすようになってから、もう7年が経ちました。君は、僕が何故 女性と付き合ったりしないのか不思議だったようですけど、僕は彼女がいますので、他の女性と たとえ名目上であったとしても 付き合ったり結婚したりしたくはないのです。

 ……ああ……そろそろ失礼します。今日は、彼女が好きな映画が夜 放送されるので、一緒に見るのです。君も僕のことにはかまわずに、いい人を見つけてください。それでは……」

 

 そう丁寧に言うと、彼は手の甲の なんでもない ただの火傷痕 大事そうに撫でて、席を立ちました。

 

エレベーター

 私のアルバイト先は、ビルの七階の小さな事務所。書類のコンピューター入力が主な仕事です。時給につられて始めたバイトでしたが、職場の先輩方はみんな優しい人で、なんでも教えてくれますし、多少失敗しても大目に見てくれます。わけを聞いてみますと、「アルバイトでも社員でも、辞める奴はすぐ辞めちゃうから」とのこと。

 簡単な仕事なのにどうして辞める人が多いのかといいますと、それはまあ、他の社員のみなさまが身体に消えないお絵かきがしてあったり 小指さんがバイバイしてしまった人だったりするからなのですが、それだけではないのです。

 このビル、昔 四人が死亡した大変いたましい火事がありまして。非常階段はあったのですが、出火の原因が放火で 非常階段のすぐそばで出火したため、誰も降りられませんでした。上下に移動する手段はエレベーターしかなくって、そのときビルにいたみんな、エレベーターに殺到したのです。

 けれど 三つあるエレベーターの中の真ん中だけ、どうしても電源が作動せず、そのエレベーターに乗り込んだ四人は 全員逃げ遅れて死んでしまったのです。

 そんなむごい事件があった後、四人が死んだその真ん中のエレベーターは、ビルの改修工事に伴ってすぐに修理されました。

 そうしてエレベーターが動くようになってすぐ、奇妙なことが起きるようになりました。どんなにボタンを押してもエレベーターが動かなかったり、勝手にボタンが動いて各階停車になってしまったり、死んだ四人の声が聞こえたり。どれだけ御祓いをしても収まらなかったので、とうとう真ん中のエレベーターは使用停止になってしまいました。

 使用停止になった今では、当然 真ん中のエレベーターを使う人はいなくなりました。

 けれど、やっぱり、出るときは出てしまうのです。

 そのせいで事務所の人手は少なくなり、比例して私のようなバイトの扱いも良くなるわけで。いいのか悪いのか。

 夜。

 帰る時間になり、疲れて眠い目をこすりつつ いつものエレベーターを使います。真ん中のエレベーターには、今日も扉の前に「使用禁止」のカラーコーンが置いてあります。間違えようがないので大丈夫ですが、わけを知っている者としましては、あまり よい心地がしないです。

 ▽下ボタンを押してすぐ、チン と音が鳴って、左端のエレベーターが上階から到着。がーっと扉が開いて、さて 乗りましょうかね と一歩踏み出して     そしてまた足を戻し

 

「……乗らないんですか?」

 

 中に乗っていた優しい顔の女性が聞きましたが、私は「仕事を思い出してしまって」と遠慮させていただきました。

 扉が閉まると同時にふっと力が抜け、私はその場にへたりこみました。

 そう、たまにこんなことがあるから、辞めていく人が多いのでしょう。乗っていたあの四人の顔はなんてことない 普通の人で、もっと疲れていたらなんの疑いも無く 乗ってしまっていたかもしれない。

 けど 今 私のいる七階は ビルの最上階。 上からエレベーターが来るはず ない。

 

宝石談義

「Gioia(ジョイア)という言葉をご存知?」

「いえ」

「イタリア語で、『喜び』……そして『宝石』という意味ですよ。ピッタリな言葉だと思いません?」

「そうですね。特にあなたは、宝石がお好きですから」

「ええ。美しさはもちろんですけれど、宝石は古来から薬効や特別な力があると言われてきたでしょう? たとえば酒神ディオニュソスのアメジストは酒に酔わないとか、サファイアは眼病を癒すとか……」

「それは知りませんでした」

「いわくつきの宝石の噂もよく聞きますよね? コイヌール、ホープ、ブラックプリンス、ブルー・ジェイド、ミステリアス・サファイア、サンシー……あげればキリがないくらいに、たくさん。それは世界中で宝石に魅了される人間が描いた夢物語なのかもしれないけれど」

「美しいものに魅了されるのは、どこの誰であろうと同じことでしょう」

「そうですね。さて、今宵の私はあなたがくださったこの素晴らしいダイヤに魅了されているのですけれど、あなたは今 何に魅了されていらっしゃって?」

「私ですか? ……当然、あなたに魅了されていますよ、マダム」

「あら、そう? 嬉しいわ」

「先ほどのあなたの言葉を繰り返すようですが……人は美しいものを見た時、それを手に入れたいと願うと同時に それに対して一種の畏怖を覚えるのでしょう。だからこそ、美しい宝石には特別な力があると、先人たちは考えたのかもしれませんね」

「あまりに美しいものを見ると、人は自分が恐ろしくなるのでしょうか?」

「そう、確かに。私は今、私の目の前にいる、宝石のように美しいあなたがほしくてたまらない。そして私をこんなにも吸い寄せるあなたが恐ろしい。呪いの宝石のように、私はそれから逃れることもできない」

「ふふ、もっと恐ろしい思いをさせてあげましょうか? 私がほしくてたまらないのでしたら」

「そんなことをおっしゃらないでください。あなたの瞳はいわくつきの宝石なのですから、きっと私に災厄をもたらすはず」

「Gioiaには『喜び』という意味はあっても『災厄』という意味はありませんわ。あなたのその手で、何もかも奪ってくださいませ」

「……ああ、そんなことを言われると、私はもう自分が抑えられない。私のこの手で、直接奪ってしまいたいくらい 私は あなたの その 美しい瞳 ほしくて ほしくて たまらない」

 

 大きく見開かれた宝石のような両眼に、僕の指先が埋まりました。

 

メデューサの本

 僕はパタンという音を聞いて、となりを向きました。見てみると、奥さんが見慣れない本 しかも分厚い洋書に 今しがたしおりをはさんだ所でした。こんな本、うちにあったっけ?

 本に視線を送る僕に気付いた奥さんはにっこり笑って「どうしたの」と聞きました。その本は、いったい。

 

「これはメデューサの本」

「メデューサって、ギリシャ神話の、あのメデューサ?」

「そう。ゴルゴン三姉妹の末娘で、女神アテナの怒りを買ったゆえに美しい髪をヘビに変えられた醜い怪物。その姿を見た者は一瞬にして石と化したという……」

「君、神話に興味あったんだ」

「これは神話の本じゃあないの。十三世紀の魔術師マイケル・スコットが、本の挿絵として書いたメデューサに魂を吹き込んだ呪いの本よ」

「……呪い?」

 

 顔をしかめてみせても彼女はまったくもってそ知らぬ顔。笑みを浮かべて本の赤茶けた表紙を、指でなぞり。

 

「……私、あなたと結婚する前、あなたの浮気癖で悩んで悩んで、古本屋でこの本 偶然 見つけて買ったの」

「え……それって、僕に呪いをかけるために?」

「ううん。この本に載ってたのは、しがらみをすべてなかったことにする方法。最初は私のしがらみをなくそうと思ったんだけど」

「しがらみをなくすのとメデューサはどういう関係が」

「この本に載っているメデューサは、『見せる者』と『見る者』という二者の関係……怪物ティアマトにメデューサの首を見せるペルセウスのような関係であった場合、ペルセウスにとって都合の悪いティアマトが石になったように……見せる者にとって都合の悪いモノを石にする効果があるの」

「……どういうこと?」

「あなたが浮気するたび、私、この本のメデューサを見せたのよ。あなたはきれいさっぱり他の女のことを忘れてくれた。……ごめんなさいね。結婚式前にあなたが胆石を患ったのは私のせいなの。でも、おあいこよね。覚えていないとはいえ、浮気したのはあなたが悪いんだもの」

 

 ふふふと微笑む彼女を見ながら、僕はようやくひとつだけ聞きました。

 

「それじゃあ君は今さっき、僕から何を忘れさせたんだ?」

 

 彼女は何も言わずににっこり とても美しく 微笑んで、「明日 結石検査に行きましょうね」と言いました。

 

土の中

「ぼくの自慢のコレクションが見たくて仕方がないという仕様がない君のために特別に見せてあげようと思ってこのコレクションルームまで連れてきたというのに、どうして君は ぼくがこんなに誘っているにも関わらず そんなところで立ち止まっているのかなあ」

 

 彼の声が底の方から聞こえるけれど、わたしはその赤黒く汚れた墓穴の前で立ちすくんだっきり 動けない

 

ひとなさま

 「ひとなさま」と僕が出会ったのはついさっき。

 数年来、僕は頭の中で聞こえる幻聴に悩まされて悩まされて、精神病院に通って薬をもらっても治らなくて、もういっそのことその幻聴の言うがままにしてやろうと危険な考えに至り、こうして海辺の森 奥深くまでやって来たのです。歩いて歩いて、幻聴の言うがままに行き着いた湖 そのそばに立つ大木の根元を掘ってみますれば、何やらカラカラに乾いた 猿の死骸のようなものが出てきました。

 水をやれと幻聴が言うので、持っていたペットボトルの中身を空けてやると、見る見る内に死骸は生気を帯びた人魚になりました。人魚はすぐに湖に飛び込んでしまいましたが、間もなく水面から上半身を出して「ありがとう」と僕に言いました。名を聞くと、昔 「ひとなさま」と呼ばれていたということです。

 

「百年前からずっと念を送っていたのですが、私を助けに来てくださったのはあなただけでした」

「百年前の人なら信心深かっただろうからわからないけど、現代で幻聴の言うまま行動する人がいたらすぐに精神病院行きですよ。僕もそうでした。それはそうと、何故こんな所に埋められていたんですか?」

 

 ひとなさまの語った話によると。

 昔々、湖に住んでいたひとなさまはとある村の青年と恋に落ちてしまいました。それを知った村の人々は、村の若者をあやかしにたぶらかされてはならないと、ひとなさまを捕まえて日干しにしてしまいました。しかしそれ以来、村では日照やイナゴの大量発生などで凶作が続き、村人たちは これはきっとひとなさまの祟りに違いないと恐れおののきました。

 ひとなさまに水を与えてよみがえらせると 今度は何をされるかわかりませんが、かといってこのまま放っておけば村が滅んでしまう。ということで、村人たちは誰も来ないような森の奥深くに、ひとなさまのカラカラの死骸を埋めたのでした。

 けれどやっぱり、ひとなさまの祟りによって村は滅びてしまって。

 

「村は滅ぼしましたけれど、私はずっとよみがえる機会を伺っていました。あなたは恩人です。お礼に私の肉を一部、お召し上がりください」

「肉ですか。確か人魚の肉は不老不死になれるとか……」

「その通りです。これはお礼です。どうぞ召し上がってください」

 

 そう言うと、ひとなさま わき腹の肉をもぎ取って僕に差し出しました。血がぼたぼたと垂れて気味が悪いですが、祟られてはかなわんと、ひとなさまの前にうずくまって肉を受け取り、口へ。

 おや 生肉なのに、意外と美味。

 もぐもぐと食べている僕を見て、ひとなさまは満足そうに笑みを浮かべます。

 

「あのとき、私は私の愛した男の子をはらんでいたのです。子もろとも日干しにされて、どうして祟らずにおれましょう。あなたには本当に感謝しております」

「そりゃどうも。ああ美味しかった。しかし、これで本当に不老不死になれたんですかね」

「それはもう。……ああ、あなたには本当に感謝しております。私を助けてくださって、そして私と私の子供の 尽きることない食料になってくださる」

 肉から口をはずした僕の頭が後ろに引く瞬間 ガッとつかんで、ひとなさまは ニタリ 笑って

 

「これでようやくあの方の子が産める」

 

 湖に引きずり込まれる間際、そんな声が聞こえました。

 

 


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