ひわの葉薬(トップ) > 掌編 > 5


 

交錯

 病院の中。不妊治療の果てに、人工授精で妊娠した一組の夫婦を担当医と看護師が祝福している。

 夫は思う。

(長かったけど、ようやく子供が出来た。名前は何にしようかな? 母さんたちともよく相談しなきゃな。これから忙しくなるぞ)

 妻は思う。

(誰がこんな奴の子供なんて生むもんですか。流産のフリして堕ろしたらすぐ彼のホストクラブに行かなくちゃ。めんどくさい)

 看護師は思う。

(よかった。研究所から返ってきた試験管割っちゃったのバレてないみたい。ま、ちゃんとすり替えといたし、あたしには関係のないことだし)

 担当医は思う。

(ようやく私の生涯の研究テーマだった遺伝子操作実験の臨床試験第一段階に入った。二人にはまだ秘密だが、これからいい論文テーマになってもらわねば)

 

 その時、妻の腹を赤子が蹴った。夫はそれを見て笑う。妻は腹をなでる。看護師は微笑む。担当医は満足げにうなずく。

 

寛佐

 旅行の途中、町を散歩していると 町はずれに小さな古びた博物館がありました。

 何の気なしに立ち寄ってみますと、暇そうな受付のおじさんが、「今日は商店街のお祭りがあるからお代はいいよ」と言って、案内がてらに着いて来てくれました。

 冬の寒い日。暖房のついている様子もない館内はひんやりとした空気が流れ、私もおじさんもコートのポケットに手を突っ込んだまま、館内を見ておりました。

 大した展示品もなく退屈していた私に、おじさんはにこにこしながら、これで最後だと言って 目玉だという刀剣類のコーナーに案内しました。

 あくびをしながら入った展示コーナーには、ひときわ目立つ一本の刀が 分厚いガラスケースに入って光っておりました。

 

「お嬢さん、村正の話を聞いたことがあるかい」

「え。村正って、妖刀村正ですか」

「『伊勢桑名に刀工有りて、名を村正と云う。三代に渡り刀剣鋳造に心血を注ぎ、その斬れ味 鮮雅にして鋭く、徳川に仇なす妖刀として伝説を残す』……ってなもんで。幕末にゃあ打倒幕府を掲げる志士たちがこぞって使ったという話もあるよ」

「へーえ。じゃあこれが、その村正なんですか? それともレプリカ?」

「いやあ、そいつは村正じゃない」

「なんだ」

「村正は国宝に指定されてるからね。こんなちんけな博物館じゃあ維持費がかかりすぎ……おいおい、そんな怖い顔しないでよ。冗談冗談」

「じゃあどうしてそんな、村正の話なんてするんですか」

「村正が妖刀って話。ありゃ、後世の作り話が多く混じっててね。信用ならんのよ。その点こいつは違う」

「この、飾ってある刀?」

「ああ。こいつは村正ほど有名じゃないが、それはこいつを試す武士がことごとく死んでいったからだ。本物の妖刀よ」

 

 へーえ、と私は感心しながら刀をまじまじと見つめました。見た目はまったく何の変哲もありません。刀身に血の跡でもついていれば、そんなイメージもわくのですけれど。

 

「それにしても、こんなもん誰が造ったんですか」

「こいつを造ったのは常陸の宇田寛佐かんざって刀匠だ。村正のように派手な話は残っちゃいないが、寛佐はこれ一本しか造ってないにも関わらず、寛佐作の刀剣を手に入れた武士はみな、人斬りとして死罪になってる」

「……それって、どういうことですか?」

「こいつを持つと、どうも無性に何か斬りたくなるらしいんだな。寛佐を買ったその日に一族郎党皆殺しにして 死罪になった武士の記録も残ってる。太平洋戦争の頃も、寛佐を軍刀に使ってた隊長が敵兵のみならず味方まで殺し、それでも斬り足りず自分を斬って死んだって話もあるよ」

「へー……話としては怖いけど。こうして飾ってあるのだけ見ると、大した変わり映えのない刀ですね」

「そうだねえ。見てる分にはねえ。でも、手にとってみると違うんだなあ」

 

 おじさんは、笑ってポケットから手を引き抜きました。

 

「ああして飾ってないと、ついつい斬っちまうからなあ」

 

 くくくと笑うおじさんの両手に、指は残っていませんでした。

 

会話

「先輩こんにちは。彼氏が出来たって聞いたけど、本当?」

「そうなのよ! もう、超カッコイイ彼氏なの!」

「へえ。僕の知り合いの中でもダントツでモテなかった先輩にようやく春が巡ってきたんだね。実にめでたいことだ」

「絞め殺すぞ? とにかくもう本当にいい人なの。顔もカッコイイし、センスも抜群だし、運動神経も良くて会社の出世株なのよ! という訳であんたには絶対渡さないわ! このドロボウ猫!」

「先輩、それはちょっと重大すぎる誤解じゃありませんかね」

 

有罪マシーン

 その裁判所が先月からちまたで話題の機械を導入したことを知らないせいか、入廷した被告人は少々 唖然とした顔で、裁判長を見つめておりました。

 

「大して驚くべきことじゃあありませんよ」

 

 そう言って被告人を慰める弁護士。

 

「裁判長が機械だからと言って、今までの裁判と変わりのある点など何一つありません」

「しかし、私は冤罪なのです。機械に冤罪か否かを判断する能力はあるのでしょうか」

「とりあえず、裁判長の投入口に、あなたの持っているその百万円コインを入れてください」

「コイン? この裁判は有料なのですか?」

「刑事裁判の費用の内 被告人の負担分を規定した法律が昨年度施行されておりますね。コインを投入することによって裁判費用を払うと思えば良いのです」

「わ、わかりました……それで、コインを入れたらどうなるのです」

「あの裁判長の顔にあるルーレットが回って、あなたを有罪か無罪か判定します」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って。それじゃ、まったくの偶然に頼らざるを得ないじゃあないですか」

「そんなことはありません。コインを入れれば入れるほど、無罪になる確率は高くなりますよ」

「しかし……それでは単なるルーレットゲームで、裁判じゃありません」

「いいや、そんなことはありませんね。支払う金が多ければ多いほど無罪になりやすいのは、人でも機械でも同じことですよ。むしろ、支払うのは裁判長だけなので、裁判員に払う金を節約できるのですから、裁判費用としては格安だと思いますがねえ」

 

うしない水

 僕の知人の中で一番 性格が訳わからないと評判の雅巳さんに連れられて行った先は、先日 雅巳さんが「腰を落ち着けるため、手に職つけよっかなって思って」という理由で建てた博物館でありました。

 博物館経営という職がどれだけ儲かるのかさっぱりでありますが、ともかくとして 九分九厘 赤字破産するくらいの覚悟でなければいけない気がするのだけども、雅巳さんは大して気にも止めていないようで、冷たい博物館の中を 軽い足取りで僕を案内して。

 

「あのね、雅巳さん」

「うん。何?」

「何故にこんな儲かりようもない博物館など建ててしまったのですか。いくら雅巳さんの奥さんの実家がお金持ちだからって、そんなことじゃいつまで経っても最悪の夫ですよ」

「俺、前々から医者として色々と危ない地域を渡り歩いているんだけど、その時 報酬代わりに色々な物をもらってくるんで、それ展示したらウケねえかなと思ったんだが」

「それ、一歩間違うと盗賊ですよ」

「大丈夫。税関じゃもう顔パスだから」

「ウソだ」

「まあ色々と変なもんがあるから、見てみろよ。面白いぞ。たとえば、これ どうだ」

 

 そう言って雅巳さんが指差したショーケース、大きな棺の前に ミニペットボトルくらいの大きさのガラス瓶が一本入っています。瓶の中にはごく普通の無色透明な液体が入っていて、もしかしたらお清めの酒か何かかな、と思うも口には出せず。

 

「具体的にどこでもらってきたかは忘れたけど、日本語で言うと『うしない水』と言うんだ」

「『うしない水』?」

「普通、水ってかけると濡れるだろ。これは濡れない」

「ああ、そういえば前にそんな水を開発したとかいう学者がいましたね」

「それとはだいぶ違う。これは、濡れないだけじゃなくて、かかった部分の水分があっというまになくなっちまうんだ。だから『うしない水』」

「……ど、どういう原理で?」

「さあ。これをくれた奴というのがそこの村に古くからいる呪術師で、そいつの孫娘を治療した時に、すごく感謝されて 一族の宝だっていうそれをセットでもらったんだけど。面白い話を聞いた。

 昔 その地域で戦争があった。戦争に負けた国の王は捕らえられ、砂漠につながれて乾き殺された。その時 王は『この国のすべての水が失われるように』と天に向かって血を吐きつつ絶叫し、死んだ。

 それ以降、勝った方の国では、それまで水源にしていた泉の水のすべてが『うしない水』になったため、その水を飲んだ国民はみな水分を失って乾き死んでしまった。

 人々はその地を後にせざるを得なかったが、危険なその泉だけは絶対に人手に渡してはならないと考え、見張りの一族を置くことにした。

 それが、俺に『うしない水』をくれた呪術師の一族だったという訳だ。彼らは権力者の求めに応じて、『うしない水』をミイラ製造や拷問に用いた。

 『うしない水』の泉は世界大戦が起こるずっと前に破壊されてしまったが、一族は『うしない水』の伝説を守るために水をいれた甕を代々 大切に保管していたらしい」

「……へ、へー……」

「お前、ウッソくせーと思ってるだろ」

「や、面白い伝説だとは思うのですけども」

「そうだな。確かに面白い」

「ところで、雅巳さん さっき『セットでもらった』と言いましたよね。何とセットでもらったんですか」

「ああ、コレ。この棺だよ。俺がごく正直に『ウソくせえ』っつったら呪術師がムキになって『じゃコレ持ってけ』っつーから持ってきた。死にたくなるほど重かった」

「よく税関通りましたね……」

「超・苦労したけどな。やっぱり博物館には目玉も必要だし」

「で、中には何が入ってるんです?」

「うん。さっき言っただろ。『うしない水』は拷問にも使われたと。どうも拷問だけでなく処刑にも使われたようで」

 

 雅巳さんはそう言って、どうでもよさそうな顔で、ショーケースの鍵をがちゃりと開けました。

 

「あまりにも重い罪を犯した者は、一族の伝統の方法で処刑された。こいつが何をしたのか俺は知らないが けれど確かに『うしない水』の存在は確信できる」

 

 そうつぶやきつつ雅巳さんの手が棺の蓋を持ち上げると、首から下すべてが ミイラのようにカラカラにひからびているにも関わらず 顔だけは生身のまま ものすごい形相でねじまがっている全裸の男の死体が見えました。

 

「あたしの家、最近幽霊が出るのよ」

「は?」

「だからぁ、幽霊が出るのよ! あたしが夜、ベッドで寝てると、どこからか何かガリガリひっかくような音がすんのよ! 怖い! どうしたらいい!?」

「どうしたらいいも何も、先輩 幽霊が出るような原因に心当たりがあるんですか」

「ナイけどさ。ねえ、あんた霊感あるんでしょ。ちょっと霊視してみてよ」

「や、別に僕は霊感なんてこれっぽっちも」

「いいから来いや」

 

 先輩に押し切られる形でノコノコと赴いた先は、先輩のアパート 古びた木造二階建てでありまして、見た目には何のことない、普通のボロのアパートなのですけども。

 

「先輩のとなりにはどなたか住んでます?」

「誰もいないわ。しかもね。あたしの部屋 アパートの一番右はじで、ベッドがあるのはその壁しかない右側だから、となりの人が騒いでる訳ないのよ」

「なるほど……確かに見たところ、何もないな。お墓もないし、寺もないし、水場もないし」

「自殺とか殺人とかも起きてないのよ。だから不思議で不思議で」

「とりあえず先輩の部屋に案内してくださいよ」

「いいわよ。ほら、ここの二階の右はじがあたしの部屋。さあ遠慮なく上がって上がって」

「お邪魔します。アパートの外観の割に小奇麗な部屋なのですね。ああ、これが噂のベッドでありますか……見たところ、周囲は何の変哲もないですねえ」

「うん。ベッドのそばに押入れがあるくらいよ」

「押入れ?」

「うん。あたし、家具つきでこの部屋借りたんだけど、ベッドって重いじゃない。動かすのめんどくさいし、そのままにしてあったんだけど、ベッドのそばに押入れって普通ないわよね」

「や、普通にあるとは思うけど……うーん、ちょっと押入れ入ってみてもいいですか」

「あー? いいけど、下着目当てなんだったらムダよ」

「先輩の下着なんて頼まれてもいらな って痛い! 人を呼んどいて蹴りたぐるとは何事ですか」

「入るんなら入れよ、オラ」

「うぅ……うーん、うーん、ああ、やっぱりそうだ、先輩、押入れの中、ねずみがいる」

「ね、ねずみぃ!?」

「フンがいくらか落ちてますよ。かじり跡もあるし、出入り口になりそうな穴も開けられています。多分、ガリガリいう音の犯人はねずみだろうね」

「そ、そーだったんだー。良かったあ」

「まとめて大掃除すればすぐにやむと思いますよ。なんだったら大家か管理会社に言うといい」

「うん。わかった。じゃ、お茶でも出すからとりあえずベッドに座って待っててよ」

 

 そう言うと、先輩は鼻歌なぞ歌いつつ、半畳のキッチンに行ってしまって。僕は、それにしても、このアパートは古いなあ なんて、ベッド横の壁を触って いたら 思いのほか簡単に 壁がバキリと抜けて

 

「きゃっ! ど、どうしたの!?」

 

 駆けつけた先輩は、壁を抜いた僕を見て青ざめ、 ご ご ごめんなさい弁償しますと言う僕に 黙って人差し指を向けて。

 えっと思って抜けた壁 振り向いた先には、ちょうど押入れの横に位置する空洞の部分

 抜けた壁の残骸とほこりがパラパラとけぶる中、木造の壁いっぱい ささくれだった無数のひっかき傷が はがれて壁に突き刺さった指の爪ごと 刻み付けられておりました。

 

昔見た夢

「……ちょっといいかな。今、思い出したことなのだけど」

「どうぞ。遠慮なく言って」

「昔 僕 ものすごく内気で 誰かと話をすることもろくにできなかったのだけど、ある日夢を見たんだ。僕が空を見上げていると、誰からとなく、これから二年間 僕は僕のなりたい人間になれるって言われるという夢だった」

「それが現実になったのね」

「ひきこもりで無職だった僕は、その日から妙にやる気が出て、自分の未来に向けて努力するようになった。僕は見違えるように変わった。自信に満ち、仕事ができ、才能溢れる美貌の実業家になった。そんな姿になればもちろん女に不自由しない。常時二十人はキープしていた」

「あなたの自信満々なそぶりと切れ長の目になびかない女はいないわ」

「けれど、今思い出した。昔見たあの夢、あれにはちょっとした続きがあって」

「続きって、なんの」

「二年間って時間が区切られているのはどうしてなのですか、と僕が空に尋ねると、またどこからともなく声が聞こえたんだ。二年経つと、僕の人生は終わるから、と言われた」

「まさしくその通りになったという訳ね」

「でも、なんだって君は、こんな……」

「私がしゃべっているのが不思議なのね。教えてあげるわ。両親の財産を根こそぎ奪って私を捨てたあんたを破滅させるため 悪魔に魂を売って、私はあんたをはめたのよ」

 

 彼女の生首が ゲラゲラ笑い終わるのとほぼ同時に、彼女の死体が転がる血まみれの部屋 警官がドアをノックする音が響きました。

 

虫歯

 甘いものが大好きな私は、甘いものを始終食べているくせに歯磨きをしないので、二十歳を過ぎる頃には口の中が虫歯だらけでした。

 さすがにこれではゲットできるイケメンもゲットできません、実にゆゆしきことです!と思い立った私は、嫌々ながらも、今まで行くのをためらっていた歯医者さんに行くことにしました。

 

「はい、口開けて。ああ、こりゃひどいですね。歯が九割方 虫歯です。しかも全部が全部、抜かなければならない歯ですね」

「えええ。なんとかしてください」

「無茶言わないでください。無理です。まあここまでひどくなったのも自業自得でしょう。ははは」

「ははは じゃないです、これからは心を入れ替えて何でもしますから、こんなに若い内から入れ歯人生なんて絶対嫌です」

「うーん、本当に何でもするというのなら、臨床試験段階なんだけども、とある薬を試してみますか」

「り、臨床試験の段階のって、発売認可前ってことですか」

「まあそういうことです。副作用の確認はもう済んでるのですが、やっぱり臨床試験をしないと認可が」

「危険がないんだったらやります!」

「副作用は食欲減退とめまいなんですけどね、この薬 効果がすごいんですよ。原理は説明できませんが、永久歯がまた生えてくるんです。しかも、一ヶ月で」

「ええー。じゃ、じゃあ、全部抜いちゃっても歯は生えるってことですね」

「そういうことです。じゃ、まずは悪い歯 全部抜いちゃいますか。はい口開けて我慢してー」

「あがああ」

 

 さすがに痛かったですが、ひとまず入れ歯はもらいましたし、後は薬を飲んで歯が生えるのを待つだけです。

 それにしても、随分とうさんくさい薬だけれど、なんて疑っていた私でしたが、一ヶ月が過ぎるとそんなこと これっぽっちも思わないようになりました。要するに、歯が生えたのです。

 喜びいさんで、私は薬を紹介してくれた歯医者の元に駆け込みました。

 

「先生、歯が生えましたよ! 食欲減退とめまいはあるけども、歯がちゃんと!」

「ああ、本当だ。いやーうまくいったもんだなあ。ちょっと口、開けてくれる?」

「はい」

 

 うーん、と先生 私の口の中を、銀のヘラでもってこじあけ 隅々までながめ、ふむと一息ついて、言いました。

 

「あなた、甘いものが好きなのだそうですね。もしかして、一日中食べているのですか」

「もう小学生の頃から一日何個もケーキだのクッキーだのジュースだの飲んで食べていますよ。虫歯治療したあとでもやめられませんねえ」

「ああ、多分、そのせいだと思います。あなた、昔からそんな生活をしているから、きっと虫歯に慣れっこになっていたんでしょう」

「そうですけど、それが何か」

「染み付いた体質は変わらないってことかなあ。あなたの生えてきたっていうその歯、全部 最初から 虫歯ですよ」

 

ドッペルゲンガー

 バスルームの鏡の前で髪をとかす彼女に向けて、ベッドに寝転びつつ話しかけました。

 

「ねえ、ドッペルゲンガーって知ってる?」

「ええ? 何よ、相変わらず変なこと言うのね」

「これでも大学じゃ幻想文学専攻だからね。ねえ、ドッペルゲンガーって有名じゃない。欧米では古くから侵攻されている伝説だし、リンカーンやケネディや芥川龍之介なんかも、ドッペルゲンガーに会ってたって話よ」

「へえ。自分と同じ人間と会うなんて面白いわね。あたしも会ってみたいわ」

「でも、ドッペルゲンガーに会うと死んじゃうのよ」

「ふふ、変なこと言ってないでもう寝たら? そっくりさんならいるでしょうけど、ドッペルゲンガーなんている訳ないじゃない。そんなの迷信よ。外国人の迷信」

「そんなことないわよ。日本では十九世紀初頭に編纂された『奥州波奈志ばなし』に影の病として紹介されているんだけど、とある家の当主は死の直前 必ず自分の分身を見ると言い伝えられているの」

「ちょっと、だからどうだって言うのよ。変なこと言わないで」

「まあ、あなたの言うとおり迷信もあるんでしょうけどね。一概にその存在を無視できないってこと。例えば、ドッペルゲンガーは中世ヨーロッパで魔女狩りが行われていた頃、魔女が用いる呪術の中でも死に直結する恐ろしい呪いと言われててね。ドッペルゲンガーを召還することで、対象を死に至らしめるのよ」

「…………」

「それにはかなりの覚悟がいるから、本当に殺してやりたいほど憎い相手を殺すために用いられたそうよ」

「覚悟?」

「そう。人を呪わば穴ふたつって言うでしょ。呪いをかけると自分にも返ってくるのよ。自分を犠牲にして相手を呪うのが、ドッペルゲンガーの呪術なの。対象を呪い尽くすことで、対象の魂の一部を術者自身に憑依させ、術者と対象を一体化させるの。そして術者は、対象を道連れに自分も死んでしまうのよ」

「そういう話、嫌いよ。変な言葉使いもやめてちょうだい」

「あなた、随分恨みを買ってるでしょう? 恋人以外の男と遊ぶことはしょっちゅうだそうね。この間、見ちゃったのよ。あなたが知らない男と……」

「ねえ、聞いていい?」

「どうぞ」

「どうしてあなた、さっきからそんな変な、女言葉なの?」

「それは僕がついさっき、あなたになったからよ」

 

 そう言って僕は、振り向いてひきつる彼女の顔と同じ顔に向けて、銃の引き金をひきました。

 

無色透明

 「ホラ見ろ! スゲェだろ!」と得意そうに先輩が持ってきたのは、この間 通販で買ったとかいう、怪しげなペットボトル。

 

「……や、スゲェだろと言われましてもね。その へどろ色の液体がどうかしやがったんですか」

「何を言う。これはな、実にスゴイ液体なんだぞ。オークションで競り落とすの大変だったんだからな」

「とりあえず午前三時に熟睡中のヒトを叩き起こして言う用件がそれだけだったら 今度から先輩を僕のストーカーとして警察に訴えますよ」

「そう言うなよ。お前にも分けてやるからさ」

「そんな青酸カリより毒性の強そうな液体なんていりません。大体、なんなんですかそれは」

「フフフ。聞きたいか。ならば教えてやる。これは、なんと透明人間になれる薬なのだ!」

「……わかったから帰ってください」

「お前 疑ってるだろ」

「透明人間なんてなれる訳ないでしょう」

「馬鹿野郎。これはとある筋から大枚はたいて手に入れた正真正銘のホンモノなんだ。科学的根拠もちゃんとあるんだぞ。これはな、人間の身体から色素を失わせて、無色透明にしてしまうんだ!」

「……えっと、僕は文系の人間ですが、その理論が本当だとしたら偉いことですよ? 第一、本当に無色透明になったとしても、光の屈折率の問題で 完全に周りの風景と同化してしまうくらい透明になれるはずが」

「うるさい! この口三味線ばかり達者なオーボエ吹きが」

「大ぼら吹きです」

「やっぱりお前みたいなウスラトンカチの所に来たのは間違いだったな。ペッ」

「貴様、午前三時にヒトを起こしといて何を」

「あばよ! 俺はこれから透明人間になって銭湯の女湯に行かなきゃなんねえんだ! お前のような愚民のたわごとに耳を貸しているヒマなんざナッシン! ひゃっほう!」

「大枚はたいたって割には目的がえらくしょぼいですね先輩。あのですね、いい加減、冷静に考えた方が って ああ、行っちゃった」

 

 それからしばらくして、彼がいなくなったという知らせを聞いたのですけれど、僕は 彼が 本当に透明人間になったからいなくなったとは思えなくて。

 仮に彼が言っていたことが本当で、あの怪しげな薬が身体の色素を失わせて無色透明にする薬なのだとしましたら、恐らく 彼の血液は 赤みの鉄分が失われて 酸素供給ができず 死んでしまうのだろうと思うのですが。

 ……けれど、もし本当に ごくごく普通に 透明人間になったのだとしたら、彼は、それなりに生活を楽しんでいるのでしょう。

 その内 彼から電話で連絡があるんじゃないかなあ なんて、半年経った今でも 僕はそんな風に思っています。

 

 


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