ひわの葉薬(トップ) > 掌編 > 2


 

きのうの海で

 きのうの海で、あの人は言いました。

 

「俺、もう駄目なんだ。もう、駄目だ。もう駄目」

「何がそんなに駄目なの」

「何がって、とにかく駄目だ。俺なんかもう生きてる価値がない。死んだ方がいいんだ」

「馬鹿なことを言わないで」

「君、こんな男と一緒にいちゃいけない どこか別の男の所に行ってくれ。もう俺は君に愛される資格はないんだ。頼む 頼む」

「一体何があったの」

「実は俺 君に一流企業の主任だって言ってたけど あれウソで、本当はこの間、けちな広告会社をクビになったばかり。しかも二股をかけて、君からもらったお金すべて使ってしまった。もう駄目だ。俺は 人として最低だ。もう駄目だ。何もかも駄目だ。頼むから俺から離れて 無関係になってくれ。俺はもうこの世から消えてしまいたい 何もかもなかったことにしたい」

 

 

 私、今 崖の上におりまして、かたわらのドラム缶なでながら ほんの少しだけ微笑みます。

 消えたいのなら消してあげましょう 海に還り 何もかもなかったことになりなさい。

 私は ドラム缶いっぱいに硫酸で溶かしたあの人を 中身 思いっきりぶちまけつつ 海に蹴り落としました。

 

逃げる二人

 彼は、彼女の手を取って言いました。

 

「俺は、お前がいないと生きていけない」

「私もよ」

「俺は妻がいるが、あんな女、お前と比べたら つまらないだけの豚のような女だ。しかし、本当にいいのかい、俺で」

「何を言ってるの。あなたが既婚者だからって、私の思いは変わらないわ第一、あんな奥さんと一緒に生活しなきゃならないあなたの方が可哀想だわ」

「玲子!」

「徹!」

「さあ、逃げよう! 二人で、どこまでも逃げよう!」

「ええ、愛してるわ!」

 

 そう言って、彼の妻の預金通帳持って、二人は熱く抱き合い、両手いっぱいの手荷物抱えて玄関へ 走り出したところでようやく、包丁持って一部始終をながめていた私に気付きました。

 

目玉盗

 最近、目をえぐる凶悪な通り魔が横行しているのだそうで、私の近所も警官がしょっちゅうパトロールに来るようになりました。

 今日も、午後、小学生の男の子が見知らぬ悪漢に目をえぐられたということで、警官が一軒一軒回って注意を呼びかけつつ、目撃証言を募っておりました。

 訪ねて来た警官は、私に疲れた顔も隠さず、ため息をついて言いました。

 

「とかく凶暴な奴ですから、女性や子供や老人は特に注意してください。不審者を見かけたら、すぐに通報してください」

「はい、どうもありがとうございます。それにしても、何が目的なのでしょうね。怖いです」

「まったくです。社会に恨みを持つ人間なのか……いずれにしても、目をえぐるなんて普通じゃないですよ。人の目など盗ってどうするのだろう。……では、この辺りで。くれぐれもお気をつけください」

 

 警官はていねいに礼して、去って行きました。・・・態度はていねいでしたけれど、あまり美的感覚の鋭い人ではないようですね。

 私はフッと微笑み、冷蔵庫を開けました。

 美しいものを手に入れたいと思う心は誰でも同じでしょうに わからない人はわからないのですねえ。

 ぷかぷか浮かんでいる たくさんの 瓶詰め目玉 ながめつつ、私はそう思いました。

 

お母さん

 僕は、女の人の高い声が嫌いで、自分のことばかりしゃべる人が嫌いで、自分が認められないことに我慢できない人が嫌いで、無意識の口調すら嫌味になってしまう人が嫌いで、くだらないシャレを延々としゃべり続ける人が嫌いでしたが、気がつけば、僕のお母さんも、声が高くて、自分のことばかりしゃべり、自分が認められないことに我慢できず、無意識の口調すら嫌味になり、くだらないシャレを延々としゃべり続ける人でした。

 僕は、お母さんが嫌いだったのだなあ。

 血まみれのバット持った僕は 足元で脳みそを流して倒れたお母さん見つめながら ふと気付きました。

 

ペコちゃん

「ああああああ! もう我慢できない!」と叫んで 駅前のペコちゃんを押し倒そうとする彼を店員さんが必死で取り押さえようとしているところを見てしまって、その日一日中いやな気分でした。

 

王様の願い

 ある所に とても横暴な王様がおりました。

 王様はある日、旅の魔術師が何でも願い事を叶えられる石を持っていると聞き、魔術師を殺してその石を奪いました。

 石から出てきた魔人が「お前の願い事はなんだ」と尋ねると、王様は「痛みを感じず、老いず、死なぬ身体にしろ」と言いました。

 それから王様は 痛みを感じず 老いず 死なない身体になりました。

 王様はますます横暴になり、税率を引き上げ、国の娘をかどわかし、好き放題に振る舞いましたが、クーデターを起こそうにも王様は死なない身体ですので、国民はどうすることもできませんでした。

 王様が願いを叶えてから何年かのちのこと。

 貧しいけれども賢い 一人の少女が先頭に立って 国民を扇動し 王様に反乱を起こしました。

 家臣に裏切られて捕らえられた王様は「わしは痛みを感じず 老いず 死なぬ身体。わしを殺すことはできぬ」と言いましたが、少女は王様につばを吐き、こういいました。

 

「お前に死という安息を与えるつもりなど最初からない。永遠に苦しみながら、その罪の重さを悔いるがいい」

 

 王様は、四肢を切断され 縛り上げられ 重しをつけて 遠い海の底に沈められました。

 痛みと 老いと 死を除くことはしたけれども 苦しみを除くことを忘れていた王様は、死ぬこともなく、老いることもなく、未来永劫 冷たい海の底で溺れ続けるのでしょう。

 

花粉症

 今までまったく何ともなかった友人が、突然花粉症にかかってしまいました。

 もう 四月も終わりだというのに 難儀な病にかかったものだなあ と 傍観者の僕は思っていたのですが、当事者の彼としては 難儀どころの騒ぎではないらしく、今日も「眼球をえぐり出して金ダワシで血管をこそぎ落としたい」などと だいぶ危険なことをブツブツとつぶやいておりました。

 

「なあ、ちょっと俺 変じゃない?」

「変と言われましても」

「だって今の時期に花粉症だぜぇー?」

「スギ花粉以外にも 花粉症の原因は様々にありますよ。ブタクサとか イネとか ウメもそうですね。ハウスダストが理由のこともあります。とりあえず、空気清浄機を買うといいのでは」

「一日中 空気清浄機 背負って歩く訳にもいかねえだろよ。ああああ目がかゆい かゆい 死ぬ。なあ、お前 俺の目見てみて。血管どこにあるかさがして、血管部分に目薬 差して」

「やです。鏡を見てくればいいじゃないですか」

「頼むよ! 俺を助けると思ってさぁ! 俺を助けたら 来世では必ずハッピィな人生送れるから!」

「あやしげな宗教の勧誘みたいですね。しょうがないなあ。目薬 貸してください」

「うん、ハイ」

「じゃー 上向いて 目薬差しますよ」

 

 素直に上を向いた彼の目玉 赤く充血していて 今にも破裂してしまいそうだなあ ホラーじみている。

 目薬を差そうとした僕の手が 水滴を落とす少し前に 彼の赤くなった目玉の血管部分わきに、何かうごめいているものを見つけてしまって。

 

「……な、なにかあるのですが」

「え?」

「や、目玉のわきに なにやらうごめくものがあるのです」

「マジで? 目やにじゃねえ?」

 

 そういって目をこすり 「それ」を取ろうとした彼の指が、ずるずると 長く 多少の悲鳴とともに引っ張り出したのは 彼の目の中でしっかりと根付いた草の根っこ。

 

準備室の鏡

 鏡は、三種の神器のひとつである八咫鏡(やたのかがみ)を例に挙げるまでもなく、古来から 一種の魔力や霊力が宿るといわれてきました。

 そのせいか、鏡にまつわる神話や伝説、身近なところではいわゆる学校の怪談など 鏡の神秘的なお話は古今東西どこにでも存在するものであります。

 かく言う僕の学校にも 鏡の怪談がございまして、内容はといいますと、夜の二時に 体育準備室に何故かある鏡の中に 部屋内側のドアが映る角度で立ち、そのまま三十分ほど待ちますと 後ろのドアは閉まったままなのに、鏡の中のドアが開くというのです。

 以前、僕の少々わがままな友達先輩が、この怪談を確かめてみたいと言うものですから、仕方なく ある日の夜二時 体育準備室に行ったことがありました。

 

「遅いっ!」

「そんなことを言われましても 眠くて眠くて」

「眠いのは根性の足りない証拠よ。そんなんだから軟弱と言われるんだわ。このもやし男」

「もういくらでも罵っていいので 帰らせてください。大体 こんな時間帯に若い男女が体育準備室で密会 なんて 誤解する人に誤解されたらどうするのですか」

「お黙り。今日はとことん付き合ってもらうんだから」

 

 そう言って、先輩はあくびする僕には目もくれず 体育館に向けてずんずん歩いていきます このバイタリティは是非とも見習いたいですが、付き合わされる方はたまったもので ない。

 真っ暗な体育館の中は いわくがついておらずとも不気味で こんな所で何かあったら浮かばれないだろうなあ。

 

「ばぁ」

「ぎゃあ」

「きゃははは、ちょーウケるー!」

「お、お、おどかさないでください 心臓が止まるかと思いましたよ」

「気にしない 気にしない。じゃあさっそく準備室行こうか」

「いやですよ」

「あぁ? テメ、ここまで来てそりゃねえだろが オラ」

「そんなこと言われましても。僕はオカルトは好きですが 知識と実体験ではまったくニュアンスからして違うのですよ。要するに 僕は自分自身は霊に会いたくないのです」

「もーっ、あんた あたしが今オールヌードで現れても襲わないような腰抜けな訳!?」

「や、そのたとえがよくわからない上に 僕は先輩が全裸で現れたらとりあえず逃げまガフッ」

「こんボケ! 早よ来いや!」

「痛い 痛い」

 

 無理やり連れて来られた先 電気をパチっとつけてもまだ薄暗い体育準備室の中 やけにほこりっぽくて喉が痛くなってしましいそう。

 きょろきょろと探すまでもなく 部屋の隅っこの方にあるのがウワサの鏡であります 見た目としては ごくごく普通のなんてことない鏡なのでありますけれども。

 

「先輩、あれがウワサの鏡ですね」

「そうね。まったくなんてことない鏡だわね。やっぱりウワサはウワサかなあ」

「そうですよきっと。帰りましょう 帰りましょう」

「黙れ。ちょっと待ってよ、今見てくるからさぁ」

 

 そう言って てこてこと鏡の前に行き じーっとのぞきこむ先輩 ああ言ったらてこでも動かないから ウワサ通り三十分以上経たないことには帰れそうにないなあ。

 

「先輩、帰りましょうよ。どうせウワサはウワサです 大体ウワサでなかったらどうするつもりなのですか。僕は除霊なんてできませんよ」

「うるさいなあ。好きでついて来たくせに。黙ってそこにいりゃいいのよ」

「来なかったら明日 学校中にお前と某教師のだいぶアレな合成写真バラまく と おどしたのはどなたですか。脅迫ですよ 脅迫」

「…………」

「もういいでしょう。眠いです。帰りたいです。先輩だって例の彼氏さんに今日のことがバレたらどうするのですか。怪談を確かめるために密会しました なんて 今時小学生でも使わない言い訳ですよ」

「…………」

「先輩。ちょっと、僕の話聞いていますか?」

「……ねえ」

「はい」

「……ドア、開いてる?」

「へ、準備室のドアですか? えーっと、や、開いていませんけど」

「でも開いてるのよ」

「え」

「鏡の中のドアは開いてるの」

「ええ? そんなバカな、先輩の見間違いじゃないのですか」

「だって開いてるんだもん! あんたの角度からは見えなくっても まん前にいるあたしには見えるのよ! ねえちょっと、ドアのそば立ってみてよ」

「え、や、いやです」

「いいから立てよ」

「う、は、はあ……これでよいですか。ねえ。立ちましたよ」

「…………」

「先輩? 立ちましたよ、もういいですか。すごくいやなんですけど」

「…………」

「先輩、何か言ってくださいよ。おどかさないでくださいよ」

「…………」

 

 先輩 鏡のまん前で凝視したまま黙っています そんな至近距離で見ていたらドアの前にいるはずの僕の姿なんて よく見えないと思うのだけど。

 ちょっと心配になった僕 鏡に顔をはりつけるようにして突っ立っている先輩に近づき、声をかけようと肩を叩いたら 先輩の鏡にはりついていた顔の部分 べろっとむけて 皮膚がきれいにはがれ 頬の筋肉から微量の血 噴出しつつ 先輩の身体が後ろに倒れました。

 僕が顔を上げますと、鏡の中 何故か開いているドアの部分に 先輩の顔した女の子が一人 たたずんで こっちを向いて笑っていました。

 

夢の中で

 最近、私は妙な夢を見てしまうのです。

 毎回内容は違うのですけれど、たとえば コンビニでたくさんお菓子を買い込んでひたすら食べまくったりですとか、服やバッグを買い込んだりですとか、とかく生々しい リアルな夢なのです。

 夢があまりにリアルなものですから、布団の中で眠い目をこすりつつ起きたつもりでも 実は起きていなくて そのまま寝過ごしてしまうことがよくあり、大変困っているのです。

 遅刻を注意する上司のお説教が夢だったり、夢じゃなかったり、仕事のミスが夢だったり、夢じゃなかったり、もう訳がわかりません。

 今日、遅刻を嫌味たっぷりに注意する上司の山本さんを刺してしまう夢を見てしまいまして、あまりにリアルだったものですから、思わず飛び起きてしまいました。

 ふと横をみますと、背中から包丁を生やして 血まみれの山本さんが まるで死んでいるかのように倒れておりまして ゆすっても声をかけても まったく反応がありません ああ、まったく、また夢ですか さっさと寝なおしてしまいましょう。

 私は山本さんを放って 布団をかぶりました。

 

マイナス100

 ひとつめに、やわらかくしなやかな髪の毛

 ふたつめ と みっつめに、磨き上げられた宝石のように きらきらと輝いていた目の みぎ ひだり

 よっつめに、控えめながら すっと通った高い鼻

 いつつめ と むっつめに、あの日 風と葉のざわめきを聞いていた耳の みぎ ひだり

 ななつめに、甘くせつない言葉を流した口

 やっつめに、ばら色をした丸い頬

 ここのつめに、色白の肌がなめらかで 磁器人形のように整った顔

 今まで彼女に関するものは、それこそ 彼女が切った爪から 部屋の家具にいたるまで集めたけれど、やはり 彼女自身の魅力にはかなわない。

 ひとつひとつはずしていって、百個目の右つまさきで 彼女はようやく完全に この世からいなくなりました。

 

 


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