ひわの葉薬(トップ) > 掌編 > 19


 

月光の差す中で

 いいよ 構わないよ 何も恨みはしない。

 ただひとつ 僕の命が尽きるまで、くだらないことを話したいだけさ。

 女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る。そんな言葉を聞いたことはないかい。要するに、ありえないという意味だ。

 何故、晦日に月が出ないと思う? そう、晦日とは新月の日だからだ。地球の陰となった月は太陽の光を反射出来ずに、下界から見ると姿を消したように見える。あたかもそれまで注いでいた己の光を弱め、そのエネルギーを蓄えるように。

 月の満ち欠けにある種の生物的変調が引き起こされはしないということは、数世紀に渡る追試でも明らかなのだけれど、相変わらず海は月の引力によって満ち干きを繰り返し、満月大潮の際に珊瑚の産卵を促すのは知られているね。そして、科学では説明のしようがないけれど、月の姿によって体調や精神状態が変化する生物は……人間も含めて……現実に存在する。サンプル数の少なさと個体差のせいで、科学界では黙殺されているようだけど、細胞単位で変異してしまう種類も ままある。

 何の因果か、僕はそれを体験することになってしまった。それも、こんな残酷なかたちでね。

 君は僕をどう思っていた? 悪逆非道の、ひねくれた、世捨て人のように思っていたかい? 君がどう思おうと、僕は最善の手を打ったつもりだったんだよ。つまり、人里離れたこの場所で、僕なりにこの因果を断ち切ろうとしていたんだ。まさか君のように、この屋敷に忍び込む者が現れるなんて、想像だにしなかった。樹海の真ん中にいたつもりが、いつの間にか時は流れ、鬱蒼とした森も開発により一部が街へと変化していたなんてね。

 君の恋したあの娘は 逃げた妻と僕の間に出来たあの娘は 何故あんな地下の檻に幽閉されていたと思う。どうしてあんなに可憐で華奢で 僕以外の人を見たこともないような純真無垢の乙女が、日光も月光も差さない暗い部屋で鎖につながれていたと思う。……僕の研究が上手くいかなかったからだ。僕はずっとずっと長い間、あの娘を治してやれる方法を 探して 探して ついに見つけられなかった。

 君は僕のなしえなかったことが出来るだろうか。たとえ月が真円を描きその冷徹な光をあの娘の全身に浴びせようと、あの娘の姿を 心を そのままにしてやれるだろうか。それとも僕が何十回となく味わってきた絶望のように、あっけなく食われて死ぬだろうか。

 もう笑う元気もない。僕の話は終わりだ。さあ、早くとどめを刺して あの娘を外へと連れ出すがいいよ。

 ……それにしても、今夜の月は 丸くてきれいだ。

 

可愛くさよなら

 ただ、こんな風に 蝉の鳴く暑い盛りだったのは覚えています。

 思春期まっただ中の中学生、学年に可愛い女子がいると否応なく男子の間で話題になりますよね。しかもそれが、目の覚めるような美少女だったら 尚更です。そんな彼女は、とてもおとなしくて引っ込み思案で、その美貌の割に浮いた噂はひとつもありませんでした。

 一度同じクラスだった僕も 他の男子どもと同じように漠然と彼女に憧れを抱いていましたが 何しろ接点がまるでないので たまに彼女を見ては「可愛いなあ」と思うだけでした。

 学年も忘れた 夏の只中。僕は一人、学校への坂道をのぼっていました。すると、後ろの方で がっしゃんがらがら 何か倒れた音がしたのです。振り返れば、あの彼女が横倒しの自転車の真下にいるではありませんか。僕はあわてて自転車をどけ、倒れた彼女の腕を引っ張りました。

 

「大丈夫ですか。痛くないですか」

「う、うん。大丈夫。ありがとう」

 

 彼女はぎこちなく笑って、立ち上がりました。

 僕は当時の僕の冴えない容姿を自覚していたので、彼女に触れただけでもうドキドキしてしまって、彼女が大丈夫と言うならと 自転車のハンドルを彼女に持たせ すぐにその場を去ろうとしたのです。

 ところが、何故か彼女の方から 僕に話しかけてきたのでした。

 

「ねえ、S君って、去年 私と同じクラスだったよね。●●さんと●●さんと●●さんと●●さん 知ってる?」

「……ああ、覚えててくれたんですか。ええっと……あの、ちょっと目立つ感じの、女子のグループ……」

「そう」

「●●さんたちが、どうかしたんですか」

 

 僕の質問にはまったく答えず、彼女はふふっと笑って 自転車に乗って 一気に坂の上まで駆け上がりました。そして、言いました。

 

「知ってる? 坂の真上ってね、あの世とこの世の境界線なんだよ。じゃ、さよなら!」

 

 そう言って彼女はにっこり とても可愛らしい笑みを浮かべ、それからすぐに坂道を 下りたのか そうでないのか するんと消えていってしまいました。

 ……そうです。とても可愛い笑顔でした。そこが、あなたがたと違うところです。

 彼女の美貌を妬み 嫉み いじめていじめて自殺にまで追い込んだあなた方の夢に出てくる彼女、坂の上の境界線で振り向く自転車の彼女、目を見開いて瞳孔がいっぱいに広がって口を耳まで裂けんばかりにつり上げ歯茎を剥き出しにして笑う彼女、高校が違った僕は同窓会があるまでそんなこと知りませんでしたけど 坂の上の彼女にモノスゴイ形相で「さよなら」されたあなたは たぶん きっと 他の方々と同じく 彼女に引きずられて坂の向こうへ行ってしまうんじゃないでしょうかねえ。

 

生死問答

 嗚呼、自分は醜悪で二目と見られない存在だ なんて言わないでください。

 自分は悪臭を放つ生ゴミ同然のものだ なんて言わないでください。

 自分が他の誰にも必要とされていない なんて言わないでください。

 自分には生きる資格がない なんて言わないでください。

 大丈夫です 大丈夫なんです あなたには僕がいるでしょう。

 あなたが醜悪で二目と見られない存在であっても 悪臭を放つ生ゴミ同然でも 他の誰に必要とされていなくても これからあなたは僕のためにそれはそれは卑劣で 邪悪で 冷酷で 残虐な拷問を受けるのですから。

 ……そうだ、あなたの首から上にはあまり興味がないので おしゃべりな舌は先に切ってしまいましょう。

 

自殺教唆

「最初に あなたがあなた自身だと気付いたのは まだ母のなかにいる時でしたね。わたし 意を決して、何度も言いました。この子は生まれてくるべきじゃないと。あなたの母親に罵られても、あなたの父親に殴られても、ずっと ずっと ずっと ずっと 臨月になってもまだ言い続けました。あなたが母体の腹を蹴るようになったのを見て あなた自身にも言いましたね。こっそり へその穴を通じて、あなたは この世に生まれてくるべきではない、その シジミ貝より小さな手で へその緒を断ってしまいなさい、と。ああ、あなたはあの時確かにわたしに 何千億の精子がようやく卵子と結びつき胎内に宿ることが出来たというのに、生まれてこないなんて選択肢があるか というようなことを言いました。浅はかなあなた。愚かで頑固なあなた。いえ それは罪ではありませんね。確かにあなたは胎内のことしか知らないのですから そう思ったのでしょう。そうであれば もはや構いません。分娩室からオギャアと聞こえた時、まっさきにあなたの元へ向かいましょう。わたしのこの 長年に渡り毎日のようにあなたの両親から つまりわたしたちの両親から 殴られ蹴られ踏みにじられて無様に醜く変形した顔、その意味を理解するまで さて あなたは生きていられるでしょうか?」

 

じっくり

「人間のからだの七十%は水分で出来ている なんてこと 聞いたことあるでしょう」

「はい 聞いたことあります。スポーツ飲料のCMだったかで」

「つまるところ人間とは 薄いビニール袋に体重いっぱいの半液状物体を注ぎ込んだものと 実質的に変わらないのです」

「そ そうですね。ええと つまり だから こんな感じで?」

「そう だからこんな感じで ガンジガラメのあなたに更に真綿を巻き付け まんべんなくガソリンを染み込ませてから 着火しないと」

 

 生焼けになっちゃう、と言って彼女は僕の鼻先に 火の点いたマッチを放りました。

 

いついつ出やる

 絶対に入ってはいけない場所というのは、どこにでもあるものです。

 たいていがいわくつきで その場所へ踏み入れば何らかの祟りを受ける とか、言われたりします。開かずの扉は、開いていないから平和なのです。

 誰も吹聴しませんが、この蔵もそうです。裏山に寄り添うようにして、何故か 家屋で見えない位置に建てられている蔵です。

 ここの扉には いつもガッチリと錠前が掛かっていて、絶対に誰も入れないようになっています。屋敷に住む一族には この蔵を管理するにあたって、非常の折を除き 決してここに入ってはならないという掟があります。

 そして昨日、とんまな彼は親族によって蔵にブチ込まれ 夜が明けるまで出られなくなりました。

 この蔵の床は、とても古い木製です。そこには、ビッシリと 正の文字が刻まれています。この何もない蔵にこもることで、助かった人間の数だけ刻んであるのです。床に連なる正の字の最後に一本を加えれば、この蔵はその本数分だけの人間を守護します。戦乱の折にも 空襲の折にも 憑き物の折にも それは変わりません。

 だからあたしは 蔵の窓柵を握り締め あたしを殺しておきながら 蔵の中でブルブル震えているあのクソ野郎を 血走った目で睨み付けることしか出来ないのです。

 

うさぎ人間

 うさぎ人間に襲われたら、とにかく力いっぱい逃げましょう。

 うさぎ人間は人間が 特に人間のこどもが 大好きです。口に入れられるところなら 腕だって 脚だって 首だって 頭だって するどい歯で食らいついてきます。

 そして、うさぎ人間は 脚がとんでもなく速いです。襲われてしまったら、散り散りになって逃げましょう。誰かが食われそうになっていたら、幸運と思って無視して逃げましょう。

 うさぎ人間の弱点は、満月です。満月になると、うさぎ人間は月に引きずられていなくなります。それまで頑張って逃げましょう。

 さて いいですか皆さん ちゃんと注意は聞きましたね 今夜の月が満ちるまでが体育の時間ですよ。それでは皆さん ちゃんとこのうさぎ人間から逃げ切りましょうね。皆さんが何人生き残れるか、先生は楽しみにしヴォフッ

 

紫陽花

 桜の樹の下には死体が埋まっていると言いますが 紫陽花の下に埋まっていることもあります。

 確実にどことはわかりません。

 紫陽花は 土壌が酸性かアルカリ性かで色を変えると、一般には思われていますね。しかしながら品種によっては土壌に関係なく 鮮やかな固有色を広げる紫陽花もあります。そんな訳ですから 一概に どことは言えないのです。

 けれどもあなたがお持ちになった この写真 その写真 あの写真 どの写真も、背景にある紫陽花の群生 断末魔の叫びを上げる同じ男の表情になっているということは、あなたがせっかく頑張ってバラバラにした彼を ことごとくその辺の紫陽花の下に埋めて隠したからじゃあないですかねえ。

 

あいしていること

 わたしは無償の愛をあの人に与え続けています。

 正真正銘 あの人を愛しています。

 あの人が、ちがう人を好きになっても ちがう人に好かれても ちがう人と付き合っても ちがう人と結婚しても ちがう人と子を成そうとも またちがう人に目を向けても 配偶者と愛人の板挟みになっても わたしはあの人を愛しています。

 わたしはあの人に 何らの見返りも求めません。

 あの人がわたしをどう思おうと まったく気になりません。

 だから わたしは わたしの思うように、あの人を愛してきました。毎年あの人に誕生日のメッセージカードを贈ったり 遠くからあの人の写真を撮ったり あの人の家に侵入してカメラを仕掛けたり あの人のいない内に全ての服にアイロンをかけたり 汚れた仕事靴を起きる頃までにぴかぴかにしたり たくさん たくさん たくさん あの人を愛してきました。

 あの人がどんなに 嫌がっても 厭うても 苦しんでも 悩んでも あの人からの反応を求めないわたしには、どうでもいいことなのです。

 ねえ刑事さん、見返りを求めないというのは そういうことじゃありませんか?

 

他人事

 「ウソだ!」なんて大きな声が上がって 見てみたら大学生風の男ばかり何人かが 池の前に立ち往生。ただの遊園地にある噴水貯水池前だってえのに いったい何があったのだか、なんて思っていたのですが。なんで俺の言ってることがウソだって言うんだよ、俺はっきり見てたのに、お前らだって見てただろ、見てないとか ウソつくなよ、なんて、青春に裏切られたあの日の夕暮れを語るような語調で まくしたてています。

 

「なんでお前らは 俺という友人相手にそんなことを言うんだ。いいか、今さっきのあそこの池、あるだろ。ほら、こっち。だからほら、こっちだってば。来いよ! なんで来ないんだよ! いいから来いよ! 早く」

 

 池の水辺へ歩き出した彼の足首 アオミドリ色した何かが巻き付いて彼の言葉が終わらない内に池の中に引きずり込むのを見たのだけれど、隣で「あれ、見たよね。見たよね」と震える彼女に応えはしないで、とりあえず池から遠ざかるため っていう名目で 彼女の手を引きました。

 

 


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