ひわの葉薬(トップ) > 掌編 > 18


 

スプーン

小学校二年生だった僕は、しまった 忘れものをした と気付きました。

気付いた時 学校は昼休みで、僕の家はすぐ近くにありました。校舎の駐車場裏口からそっと出て、急いで忘れものを取りに帰って、そうしてまた駐車場裏口に戻ってきたのですが 僕が戻ってくる間に一人 女の人が ちょうど校舎の窓から死角になる場所に スプーンと白いビニール袋を持って立っているのです。

一瞬 先生かな 怒られるかな と思いましたが、女の人は僕を見るなりにっこり笑って、スプーンを持っていない方の手でおいでおいでと手まねきしました。

僕は催眠術にかかったみたいに そろそろと彼女に近付いていきます。すると彼女は 口を縛った白いビニール袋を差し出して「あげます」と言いました。

僕はなにがなんだかわからないままそれを受け取りました。が、その途端、女の人は信じられない速さでその場から駆け出し 駐車場から見えなくなってしまったのです。

僕はぽかんとしてしばらくそこに突っ立っていたのですが、昼休み終了の鐘が鳴り、我に返ってあわてて教室へ戻りました。ギリギリセーフだったはずがそうでもなく、担任の先生はひとしきり説教をした挙句、僕がもらったビニール袋を教壇の机の上に置いて、結ばれていた口を開けました。

その刹那、何重にもかさねられていた袋の中から どばっと勢いよく血に染まった小さな目玉が いくつもいくつも飛び出してきたのです。

教室はパニックになり、担任もあまりのことに動転して、授業どころではなくなりました。

その後 学校で飼っていたウサギが残らず目を抉られていたことがわかりました。

結局犯人は見つからないままでしたが、誰もいない中 ひたすらスプーンでウサギの目玉を抉り続けるあの女性を想像すると、いまだに僕は鳥肌がたつのです。

 

 

後ろに

いない

いない

いる

 

 

その匂い

 霊感というのはそもそも五感で感じるものなのだそうで、見える人もいれば聞こえる人もおりまして しかし彼はどちらでもなく 嗅げる人なのです。

 たとえば葬式から帰って一週間以上経った人から線香が香ったり、その人に死が近いと髪の毛を焼く臭いがしたり、交通事故のあった場所に供えられた枯れ花が異様に強く匂ったりするのだそうです。

 そんな彼、最近は残業続きで疲れきっております。先日なども、風邪をひいているというのに何時間も残業 残業 残業 同僚や先輩が全員帰ってしまってから、ようやく帰ろうと会社を出たところで忘れ物に気付いたのですが、もうエレベーターを上がることすら億劫になっていた彼 少し迷った後で駅の方へ歩き出しました。

 熱でふらふらしながら、彼は地下鉄の階段を降りて行きました。熱に浮かされて前後不覚 早く帰宅しなければ死んでしまう なんて突拍子もないことを考えていると、間もなくして ひとけのないホームに終電車が滑りこんできます。彼は咳き込みつつ、電車のドアが開くのを待ちました。

 ドアが開き、無意識に鼻水をすすった時 漂うにおいに彼は目を見開きました。金属質なにおい 鉄錆のにおい 血のにおい 風邪でやられた自分ののどから昇るにおいとはまったく違ったかすかな異臭 思わず踏み出した足を引っ込めると、ドアが音を立てて閉まりました。

 足早に去って行く電車を呆然と見送った直後、甲高い音が聞こえ 彼が振り向くその先でゆっくりと停まる別の電車。そこで彼はようやく 先程の電車が止まっていたところ 彼がいつも帰る電車とは反対方向で その終電の時間はとっくに過ぎていることに気が付きました。

 

「結局、あの電車がどこに行ったのか 一体なんだったのか 何もわからないのだけど、風邪で嗅覚が弱っている中 もし会社を出る時にこれを取りに帰っていたら 僕は今ここにいないかもしれない」

 

 そう言って、彼はマスクの中で一度咳き込みました。

 

 

心臓一突き

「安っぽい 薄っぺらい 検索サイトで一度調べただけのような受け売りの知識を、随分とご大層にご披露なさるのですね。安野モヨコ『美人画報』に、 さも素晴らしい情報を提供してやろうという顔でアナスイを他人に勧める女性がちらりと出てきますが、いちいち検索してもすぐに右から左へ流れ出て行き 結果的にその程度の知識量しか持ち得ない貴方は その無知さにおいてアナスイを勧める女性の比ではありません。その上どれほど自分というものを過大評価して いるのか存じ上げませんが、人様へこんな くだらない つまらない 益体もない、有り体に言ってしまえば驚くほどへたくそな言葉を 乏しいにもほどがある語彙と共にずらずらと並べ立てて得意がるなんて、いったいぜんたい貴方はどういった神経をなさっているのでしょう。そして、自分を言葉で表すことすら特段不得手な貴方なのですから、人様の作った作品へどうこう言う権利などあるはずもないのです。それを全世界に向けて発信しているだなんて、まったく滑稽の極 みですね。貴方という辞書に『恥知らず』という言葉を載せていらっしゃらないのだとしたら、私が書き加えて差し上げましょうか。とはいえ きっと私の言葉は貴方の耳になど届かないのでしょうね。これほど不自由な日本語をお遣いの貴方ですから、そもそも日本語が いえ 人間語が理解出来ないのかもしれません ね。貴方の制作したサイトを見るだに 言葉の猖獗を極めているように思えてなりませんから。そもそも七年以上文章を書いていらして これっぽっちも上達の 色が見えて来ないのは何故なのでしょう。ねえ 神藤さん 神藤ナオさん 聞こえていますか」

 

 返事がない。ただの屍のようだ。

 

 

結婚式

 おめでとう おめでとうと、口々に祝福されながら、彼は嬉しそうに目を細め そして笑う。

 私はそれを見ながら、この人を好きになって良かったと思った。

 幸せな、本当に幸せそうな彼を見て 私は満足だった。

 鐘が鳴る 歓声が謳う 華やかなウエディングドレスと、花があふれ出しそうなブーケと、そのとなりの彼。

 交互に見つめながら、私は泣いた。

 

 帰宅して、私はまず ベッドに寝転んだ。

 今日は、結婚式だった 疲れた 泣いた 悲しくて、ではない もう満足だから。

 私は枕元の写真を引き寄せた 二年前の私と彼が写っていた。

 彼と、以前に 私の親友だった彼女は 今日結婚したけれど、二年前の私たちはまだここで笑っている。

 だから多分 今日も私は、彼の夢を見るのだろう。

 

 

写真の夢

 ひらりと一葉の写真をこちらに見せながら、彼女は言いました。

 

「男は、人間の死体写真を収集するのが趣味でした。その日も彼は、知り合いから譲ってもらった写真を整理していたのですが、一葉だけ 知らない写真が紛れこんでおりました。それは白黒の 血管の浮き出た 何だかよくわからない写真でした。何とはなしにそれが気になり、男は自分の机の上にその写真を置いて眠りに就きました。

夢の中で 男は地面にうつぶせになっていました。目の前に 細い足が二本立っておりました。男は身体が石になったように どうやっても起き上がれず 視線さえ上に持っていけず四苦八苦していると、ふいに指が下りて来て 男の髪の隙間を撫でました。そして わたしをたすけてくださいますか という女の声が聞こえました。

目が覚めると男は自分の胸の上に写真が置かれているのに気付きます。それはあの 何だかよくわからない写真なのです。その夜もまた同じ夢を見、同じ写真が胸にありました。しかし不思議と、男は気味の悪さを感じなかったのです。それどころか、ある日から写真を胸の上に置いて寝るようにさえなりました。

眠るたび 夢を見るたび 男は視線を上げていけるようになりました。起き上がれるようになってきました。女の姿が見えるようになっていきました。彼女が言う言葉の意味もわかるようになってきました。その頃には既に 彼女への拭い去りがたい愛情が男の胸に根を下ろしておりました。

だから彼はきっと彼女に心臓をあげたのでしょう。彼女の胸にぽっかりと空いた丸い穴 塞いであげるために。あの何だかよくわからない 抉り取られた心臓の写真 その心臓の持ち主である彼女のために。

ベッドの上 胸にぽっかりと空いた丸い穴 血だらけになっていた彼が最後に見た夢は きっとこんな風だったのでしょう」

 

 そう言って彼女 まるで花弁を風に乗せるかのように、その心臓の写真から手を離し 僕の肩に頬を置きます。

 

「……そんな噂話は知っていたけれど、男女逆だとは思いませんでした。けれど私 あなたを愛しています。さあ 私の心臓を持って行ってください。あなたのためだけに動いている この心臓を」

 

 

鬼の村

 暗い 暗い 森の奥に、鬼の棲む村があります。

 鬼たちは別段悪さをするでもなく、かといって人と交わることもなく、至って静かに暮らしています。だから、文化水準はそれほど高くありません。とはいえ人の文化とは隔絶しているので、平和なものです。

 ところで、鬼というと あなたはどんな姿を思い浮かべますか。頭に一本か二本の角、半裸で虎の毛皮を腰巻にした、奇妙な肌色の大男。そんな印象が強いのではないでしょうか。風水上 丑寅の方角が鬼のやって来る鬼門だから 鬼の姿も牛の角と虎の毛皮を取り入れているのだ、なんて解説をされることもありますね。

 けれども、僕はそれが当たっていると思いません。室町以前の文献を見れば一目瞭然 醜く描かれていても鬼に角はありませんし 虎の毛皮も巻いていません。

 古代から鬼は「悪いもの」「恐ろしいもの」でした。それが中国からやって来た亡霊という意味での鬼と結合するのですが、まあ それは置いといて ですよ。ただ恐ろしい存在だった鬼は時代を経るにつれてその脅威を薄れさせ、あがくようにしてその姿を一つ目や角などで恐ろしげに変貌するも、怪談はもっぱら幽霊が主役になってしまいます。ですが、それでも「悪いもの」「恐ろしいもの」=鬼 という図式は、現代にいたるまで変わっていません。そうでしょう?

 ところで、鬼はいったいどこから来たと思いますか。鬼ヶ島? 蓬莱? 幽冥界? ……いいえ、人里です。

 古くから、人は何か悪いことがあれば鬼や因業のせいにしてきました。しかし、因業で説明できない、説明しない、そういうこともあります。あなたもそれはおわかりでしょう。……そうなると、それは鬼となります。鬼の仕業か、鬼そのものであると考えられたのです。

 そう、古くから とてもとても古くから 鬼とされてきたのですよ。気の遠くなるような昔から、人の目から見て恐ろしい姿をした者は 鬼とされてきたのですよ。額に角の生えた者 体中を毛で覆われた者 顔面が割れている者 手足が変形した者 年齢も性別も問わず たくさん たくさん この山奥に捨てられたから、ここは鬼の村となりました。

 さて 着きました。遠慮なさらずおいでなさい。その顔を隠す必要もありません。僕たちはあなたを歓迎しますよ この異形の村の新しい住人として。

 

 

開かずの間

 開かずの間、というのは 旧家ではよくあるものです。

 単に建て付けが悪かったり、物置のような状態になっているだけのところもありますが、僕の実家にあるのは 狭い洋室です。六帖程度の広さで、窓もなく、使い古しの化粧台がひとつ 置いてあるだけの部屋です。

 何故内装を知っているのか というのは置いといて ですよ。この部屋は僕が生まれた時からずっと鍵がかけられていて、両親や祖父母からも決して入ってはいけないと言われてきました。

 なんでも、僕の曾祖母に当たる人物が我が子を亡くしたことで発狂し、世間の恥となることを恐れた曾祖父があの狭い部屋に妻を監禁したのだそうです。

 その後の話は、誰も教えてはくれませんでした。

 だから僕は、確かめてみることにしたのです。

 遠縁の親戚が亡くなった晩、帰省していた僕は床から抜け出して ずっとずっと気になっていたあの部屋へ向かいました。もう大人になっていた僕は、家で使う鍵束のありかを知っていました。

 いよいよ、入ります。鍵をまわすと、扉は静かに開きましたが、何しろ窓がないので 暗くて中がよく見えません。あらかじめ用意してあった懐中電灯を照らします。すると、部屋の奥に、鏡をこちらに向けた化粧台がありました。

 ほこりにむせながら 化粧台に近付いてみます。どうやら相当古いもので 金具は錆が目立つし 木製部分も傷だらけです。ふと気が付くと、鏡台の下に据えるには大きい引出が ひとつついています。何の気なしにそろーっと開けて中へ手を入れた瞬間、僕は思わず「ギャッ!」と叫んで手を引きました。手首に鋭い痛みを感じたのです。とっさに僕は 懐中電灯を向けて引出を開けました。

 そこにいたのは にぎりこぶしより だいぶ大きかったでしょうか、頭が大きめにつくられている市松人形でした。きれいに着物を着せられ、真っ黒な髪はおかっぱに切り揃えられています。奇妙なのは それが口を開いていて 中に 一本一本 歯が植えられているのです。

 僕はぞっとして、懐中電灯を取り落としそうになりました。本能的な何かが警報を鳴らし、急いで引出を閉じて 一目散に部屋から出て 自分の床に戻って布団を被り、眠れない夜を過ごしました。

 ……ええ、そうです。お気付きの通りです。しかしそれはもう少し後にしましょう。僕はとるものもとりあえず用事を果たすと、逃げるようにして職場の近くにある自宅へ帰りました。

 これが長袖を着る法事でなかったら、僕はきっと両親から問いただされたでしょうね。代々続く歯科医の家系、僕の手首に刻まれた痕を見れば すぐに子供が噛んだ痕だと気付いたでしょうから。そして、僕の手首を噛むような子供は、その場にひとりもいませんでしたから。

 曾祖母が閉じ込められていたというあの部屋は、いったい他にどんないわくがあるというのでしょうか。もしかしたら曾祖母は、幼い我が子を亡くしたのかもしれません。そして発狂し、その子供の歯をすべて抜いて、人形に植えたのかもしれません。やがてその人形に魂が宿るか 曾祖母が呪うかして、たたりをもたらすようになったのかもしれません。

 ……はい、僕は帰りの新幹線の中でそう思っていました。そしてこの件は、すっかり忘れてしまおうと堅く誓いました。けれど……ええ、そう、そうです。そしてあなたのおっしゃる通り、そこで気が付いたのですよ。

 あの部屋から逃げ出す時、僕は恐怖のあまり 鍵をかけ忘れていたことを。

 ご存知ですか、通常 大人の歯は親不知を抜くと二十八本 子供の歯は二十本あります。

 ねえ ほら 見てください。あれ以来、僕の身体には思い出した頃に いつの間にか 歯型がつくのですよ。首 肩 腕 胸 腹 脚 指 所構わず噛み痕が付くのです。二十本の、子供の歯型が。

 

 

真夜中の観覧車

 真夜中 遊園地の観覧車。ゴンドラがゆらり ゆらり 上っていって、僕は窓から下を見てみます。

 とてもきらびやかで 楽しそうですね。メリーゴーラウンドに、ジェットコースター。ポップコーン売りに子供たちが群がって、どこもかしこも電飾が輝いています。

 ここにいるみんな たのしそうですね。彼女は言います。本当に、たのしそうですね。僕は彼女を窓の方へ向かせました。

 まあ 本当にきれい。夢の国ね。嬉しそうに彼女が言います。ベタだけど、観覧車の一番上についたらキスしても構いませんか、と尋ねると、もう 何を言ってるの なんて言って彼女が振り向いたその途端、ごろん ごろごろ 彼女の首がもげて落ちました。

 悲鳴を上げたところで、布団の中。やれやれ、嫌な夢を見てしまいました。寝汗でびっしょりです。

 汗が気持ち悪いのでシャワーを浴びにバスルームまで行きます。服を脱いでシャワーを浴びる間 浴槽へ視線を落とします。

 おどかしても無駄ですよ と僕は彼女の美しい首に言います。血まみれの浴槽に横たわる邪魔な身体を始末した後は、あなたを凍らせてから遊園地に行きましょう。観覧車の一番上で、あなたの冷たい唇にキスをしに。

 

 


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