ひわの葉薬(トップ) > 掌編 > 16


 

うわさばなし

 カラスが鳴き狂う夕暮れ時。ベンチに座り 彼女と手つないで、誰もいない草だらけの公園で二人きり 色んなことを話していたら、いつの間にか夜でした。

 怖がりな彼女は僕の手を引き「すぐに帰ろう」と言うのですけれども 僕は少し意地悪な気持ちになって、こんな話をするのです。

 夜のとばりが降り、幽霊や 妖怪や 鬼や そんなマガマガしいものが跳梁跋扈する時間帯になると、不可思議なことが起こるものです。特にこんな 寂しい公園ともなれば 何も起こらない方がおかしいってものです。

 じゃ こんなうわさはいかがですか。夕暮れから夜にかけて 誰かと手をつなぎながらとりとめのない話に興じていると、不意に雲間から月が出てきます。それが妙に美しい 血のように赤い月だったりします。ほら、あんな風に。

 それで その赤い月をジッと見ていると、なんだかこう 吸い込まれていきそうな気分になるでしょう。こんな寂しい公園に こんな寂しい風が吹くと、もう何もかも忘れてあの充血した獣の目玉のような月の光に全身を射抜かれてしまいたい いっそこの世のものでないナニモノかにさらわれてしまいたい そんな風に思うでしょう。

 フト不吉な考えに身を染めてしまった時は既に遅い あなたはもう、この世のものでないナニモノかに魅入られているのです。闇夜に浮かぶ赤い目玉に 寂しい景色に つないでいても感覚のない手に。気付いたら、あなたのそばにいるはずの人はいつの間にか見たこともない真っ黒いナニモノかに変わっていて、ものすごい速さで飛び上がり あなたの手を引っ張って この世ならぬ世界に連れてさらうのです。

 恐ろしいですか。怖がらせてしまいましたか。不快な思いをさせてしまって申し訳ございません。しかし あなたのように恐怖の表情が似合う人はそういない いえ 褒めているのです。どんな美女でも本当の感情をあらわにしてしまえば、猿のように醜くなってしまいます。けれどあなたはまったく違う。この空に浮かぶ赤い月のように 僕をとらえて離さな

 

「何言ってんだお前」

 

 ぎゃっと叫んで振り返ってみれば、知り合いの彼が なんだか寄生虫のホルマリン漬けでも見るような目でこちらを見ています。ものすごく気まずい沈黙が落ちてきて、しなくてもいい身づくろいをする僕に 彼はあきれたように言いました。

 

「こんなとこ、こんな時間までいるもんじゃないぞ。ここら辺、失踪者多いんだからな」

「……あ ああ、そうだね。赤い月の噂なんてものもあるし」

「噂そのものはアホらしいが、なんにしても物騒だよな。……それより、お前 なんでこんなとこに一人でいるんだ?」

「え?」

 

 僕と彼以外誰もいない 寂しい公園のベンチのそばで、少しぬくもり残った手を握り締め 僕は「さあ」と首をひねりました。

 

奇態

 知人でヤブ医者の雅巳さんは、玄関前に現れたとたんに懐から取り出したルームスプレーを部屋中に撒き散らしたかと思うと、迷惑げに咳き込んでいる僕に向かってこういいました。

 

「カビとクマムシとゴキブリを合成したら最強の生物が生まれると思うんだ」

「突然何を口走ってるんですか雅巳さん。脳みそがほどけでもしたんですか」

「ほどけるかボケが。考えてもみろ、カビはどこにでも生える。この世にカビの生えない物質はない。コンクリートだろうが人体だろうがダイヤモンドだろうがおかまいなしだ」

「まあそうだけど」

「クマムシは真空中も放射線中も、高温も低温もまったく問題なく生き続ける。人類の環境破壊が影響を及ぼしさえしなければ最強だ」

「そしてゴキブリは言わずと知れた不屈の生命力を持つと。……で、要するに何が言いたいんですか雅巳さん」

「つまるところ 最強とは最後まで生き残ることだ。俺は人類は一万年後生きていないと思う。それどころか三十世紀も迎えられないと思ってる」

「悲観的ですね……で、まさかとは思いますが、その気色悪い生物三種類を混ぜ合わせて合成生物を」

「作ってみたんだが」

「作っちゃったのかよ。そんな毒にも薬にもならない実験するくらいなら、さっさとどこか就職した方がいいんじゃないですか。雅巳さんならきっとやばい組織が雇ってくれますよ」

「やばい組織に雇われても嬉しくない。しかし、結果がかんばしくなくてな。奴らは一ヶ月を目安に単体生殖するが、その際に人体に非常に有害な物質を空中散布する。これが増えたらえらいことだ。対処が遅れでもすれば一都市が壊滅してしまう。手に余るようになったので処分しようと思っていたんだが、この間うちの奥さんが誤まって培養液を排水口に流してしまってな」

「んなっ……」

「随分捜したんだがちっとも見つからない。ほっとくと大変なことになっちまうかもしれないから、色々研究して探索方法を考え付いた。奴らは縄張りを主張する習性がある。触覚器官から微量の特殊な粘液を分泌し、自分の行動圏内を示すのだ。それを関知する薬液を開発し、今に至る」

「はあ、それでその生物は今どこに」

「とりあえず近隣一帯に薬液を撒いて確かめてみたところ、どうも俺んちの近くにひそんでいるらしいことがわかってな」

「はあ」

「それで、あわせて研究していた駆除方法もついでに試してみようと思って準備していたんだ」

「はあ」

「だが実は駆除する方法そのものは簡単なんだ。人体に無害なとある化合物を嗅覚器官から摂取させると、連中は意識を失う。だから密室で空気中に ルームスプレーを撒くように散布してしまえば」

 

 僕の頭 ぐらりとかしいで 床に倒れ伏し

 

「まさか人間に擬態するまで成長するとは思ってなかった。擬態された方がどうなったのかは興味ないが、いい研究材料になりそうだ」

 

 上から降ってくる言葉はすぐに立ち消え 溶暗

 

海和尚

 僕の上司の父親が、遠洋漁業中に海ででくわした奇妙な出来事について。

 

 その日、夕暮れから夜に変わる凪の海を 少年は一人で双眼鏡片手に見張っておりました。疲れきった船員たちは、今の時分すれ違う船もめったにないからと 見張りをこの雑夫の少年に任せて早々に船室に戻っていました。

 おなかがすいたなあ なんて 痩せた腹をさすりながら少年が思っておりますと、遠くの方でなにやらチラチラと白波が立っています。この凪に似つかわしくない波の立ち方に、少年は怪訝に思って双眼鏡から目を凝らしました。

 東北西の方向 大体二百mほどの波間に、男が一人 ばたばたと溺れているのが見えました。年の頃や風貌はよくわからなかったのですが ずいぶん長いこと海原を漂っていたらしく、男の白髪はたっぷり水を含んでいます。男は少年に気付いているのかいないのか、ともかく船の方に向かって必死でわめいているようでした。びっくりした少年が船室に声をかけようと振り返った瞬間、

 

「邪魔をするな」

 

 耳元でボソリと低い声がつぶやいたような気がして 驚いて再び男のいる方向へ双眼鏡を向けた少年は、狂ったように船へ両手をばたつかせている男が 一匹の大きな海亀に乗っているのを見ました。足の辺りは波に隠れてよく見えないのですが、男は亀にくくりつけられているかのように大きく上体を揺らしながら 必死で何事かをわめいています。

 ふと亀が、長い首をぐるりと伸ばし 少年の方を睨みつけました。禿げ上がった醜い人間のような顔に、耳まで裂けた口がかっと開いて真っ赤な舌が見えました。

 少年が息を呑んだ瞬間、亀は男ごとすばやく海中へ没してしまい それっきり浮かび上がってはきませんでした。

 

 腰を抜かした少年が、ほうほうの体で船長に今見たことをそのまま報告しますと、他の船員たちは「浦島太郎じゃあるめえによう」と笑っていましたが 船長はすぐに船を引き返すことにしました。

 物識りの船員が少年に語ったところによると、少年の見たのは「海和尚」と呼ばれるもので長らく不吉の前兆とされてきた妖怪なのだそうです。しかしその海和尚が何故背中に人を乗せていたのかは、物識りの船員もわからないようでした。

 不吉の前兆を見たことでおびえる少年を慰めながら、「……ただ」とその老獪な船員は付け加えました。

 

「和尚が食い物にありついたんなら、しばらくはおとなしくしてるだろうな。今網を投げれば船に積みきれねえほどたくさん獲れるだろうに、もったいねえこった……」

 

 ……それから少年は都会へ出稼ぎに行き 苦労しつつも家庭をもって天寿をまっとうしたのですが、その間 死ぬまで漁師という人種を信用しなかったそうです。

 

即興詩人

「……たとえばこんな うさんくさい話があるよ。

 古代中国の王が、一人の臣下に立腹した。だが死刑にするのは到底なまぬるいと考え、何気ない風を装って その臣下にこう尋ねた。

 

『お前はこの世で一番苦しいことはなんだと思うね』

 

 すると臣下はこう答えた。

 

『どんなに些細なことであろうと、それが降り積もれば塗炭の苦しみとなりましょう。ゆえに繰り返される死こそ、最もつらいものであると愚考いたします』

 

 それを聞いた王は、即座に臣下に申し渡した。

 

『ならばそなたに永遠の死を与えよう!』

 

 そして臣下は斬首された。臣下は自分が何故そんなことをされるのかも知らぬままに、永遠に死に続けることになったのさ。

 しかしこのままじゃあ 単なる愚かな王の昔話だろう。君は、永遠に死に続けるというのが 一体どういうことなのかわかるかな。

 吟ずれば死ぬ詩、というのがある。王は臣下にこの詩を贈ったのさ。臣下はその詩を吟じた瞬間に斬首された。こじつけのようだけど、吟じたら死んでしまったわけだ。そんなうさんくさい『吟ずれば死ぬ詩』とやらが永遠の死にどう結びつくのかというと、三つほど理由がある。

 口から出た言葉はあっという間に消えてしまう一回性を持っている。声は厳密に言えば、発せられた一瞬にしか存在しない。つまりすぐに死んでしまうわけだ。音声でしかありえないこの特性が、永遠の死の理由その一だ。

 二つ目は、この詩が繰り返されるごとに話の中で死んでいく男の存在だ。彼は話の中にしか存在しない だから何度でもよみがえり、何度でも同じ理由で殺される。

 最後の理由は この詩そのものの不思議な特徴にある。要するにこの詩は、死が近づいてきた時にしか口にできない 思い出せない 喉からはい上がってこない そんな言葉でできている。忘却され 消滅し 再び死がめぐり来ると出現する、その無限に近い繰り返しを経て 今 君は これを聞いてしまったね。この詩ともつかない詩は実に敏感に死を察し、口のきけなくなるその直前 必ず口をついて出てくるんだ。まるで死臭を嗅ぎ付ける虫のようにね。ある意味でとても恐ろしい死の前兆だけど、こうして口が勝手にぺちゃくちゃしゃべっている間に 相応の覚悟を決めることができるとも言えるんじゃないだろうか。

 さあ僕を殺すといい。そしてこの詩の内容 そっくりそのまま君が繰り返す時がくるだろう。僕がそうだったから」

 

 彼が誰からそれを聞いたのか尋ねる前に、持っていたゴルフクラブを振り上げてしまいました。

 

恋愛結婚

彼女の長所

1 仕事から帰ってくるとすぐに玄関先まで出てきて、「おかえりなさい」と言ってくれること

2 家事ができないことを心底申し訳なく思っていて、いつも優しく接してくれること

3 一緒に風呂に入っている時にいつも恥ずかしそうに伏し目がちでいること

4 高価な物を決してねだらず、たまに花をプレゼントするととても喜んでくれること

5 常に控えめで、でしゃばらないこと

 

彼女の短所

1 僕が帰ってきただけでものすごく喜ぶので、ついつい同僚との付き合いをおろそかにさせてしまうこと

2 彼女は家事ができないので、何から何まで僕がやらなければならないこと

3 長湯のあまりにのぼせること

4 僕が買ってきた服を着られないこと

5 僕にしか見えないこと

 

隣人

 久々の休日 家の近くの公園でカーマーゼンの黒本を読んでいたら、後ろの藪からひそひそ声が聞こえてきました。耳を澄ますと、僕のおとなりのSさんと未就学児童っぽい少女の話し声でした。

 Sさんは大仰なほどに声をひそめ、可憐な声の少女に言い聞かせています。

 

「いいかい あそこには行っちゃあいけない。僕は隣に住んでいるから、あすこのおにいさんが何をしているか知ってるんだ。

彼は仕事から帰ってくると決まって真夜中 家を抜け出るのだ。駅の方へずうっと歩いていって、画廊街の辺りをグルグルとまわるんだ。その画廊街に連なる人形屋の裏を 飽きもせずに らんらんと目を光らせて歩き回るんだ」

 

 なんだかすごいことを言われています。

 内心憤りつつ もしかしたらこれはSさん自身のことかもしれないと思うと好奇心も芽生えまして

 そうしている間にもSさんの声はひそひそと続きます。

 

「……どうしてそんなことをするかわかるかい。彼はね、人形屋の裏手に たまさか捨てられている壊れた少女人形を捜しているのだ。あの辺の人形屋は、見本人形が壊れるなりなんなりすると 裏手のゴミ箱に詰め込まなきゃならないきまりとなっているからね。人形は手足がなくていい からだがなくていい ともかくとして美しい頭があればいい。彼はそうやって拾った少女人形の生首を持ち帰っては、家の棚に飾っているのだ。

きみがあすこのおにいさんの言うままに あの家に入ってしまったが最後、きみもそのような収集物として飾られてしまうことだろう。だからあすこには行っちゃあいけないんだよ。僕の言うことがうそと思うなら、今度僕の家に来て確かめてみるといい。ベランダからおとなりがほんの少し覗けるから、そこでズラリと並んだ少女人形の生首を見るといい」

「でもSさん、あのおにいちゃんはそんなことしそうにないよ」

「それが彼のねらい目というものだ。あのように優しげな声音で語りかけてきたら、きみのような少女はすぐに彼を信用してしまうだろう」

「でもSさん、あのおにいちゃんはいつも元気で 他の人に挨拶してるよ」

「それが彼のねらい目というものだ。あのように品行方正を装っていれば、きみのような少女ばかりでなく近隣住民までだましとおせるだろう」

「そういうものなのかな」

「そういうものだよ。僕を信じられないなら僕の家に行こう。おもしろいものをたくさん見せてあげるから」

「うん、つれてって」

「じゃあ抱っこしてつれていってあげようね」

「うん」

 

 どうやらSさん 少女を拉致しようとしている模様。僕はあわてて本を閉じ、、藪の方へ身体をひねって首を伸ばしました。

 ちょうどポッカリ空いた藪の隙間。口元にいやらしい笑みを浮かべたSさんが、可愛らしい金髪の少女人形を抱き上げていました。

 

しみ

 同僚のA君が、包帯巻いた痛々しい手をさすりながら はにかむように微笑んで言いました。

 

「いつからか知らないが、家の書斎の壁にしみが浮き出してね。それがだんだんと 死んだ妻に似てくるんだ」

「へえ」

「昨日はついに そいつに噛み付かれた」

 

。 → o → O

「ヘンゼルとヘンデルとメンデルって、たまに誰が誰だかわかんなくならないか」

「なんかそれ、ポケモンの進化形態みたいだな」

「それだ!」

 

 何が。

 

 真夜中、ふと 妹がいたことを思い出しました。

 そういえば僕には妹がいた 小さくて幼い妹がいた 黒髪を二つ結びにした 真ん丸い目の妹が、確かに いたような気がします。可愛いけれど気の強い妹で そのくせ淋しがり屋で、僕が引き取ってからも「パパとママに会いたい」と言って 随分困らせられていたのだっけ。

 けれど妹と暮らしていたのは、この家じゃあない気がします。部屋をぐるりと見回しても、妹のにおいと部屋のにおいが一致しない。

 真夜中、僕は妹に会うために家を出ました。どこの町か どのバスに乗るか そんなことは忘れてしまったけれど、道順だけは覚えています。この道を曲がり、横断歩道を渡り、レストラン前の橋を横切って、ずっとずっと北の方へ歩きます。

 今までずっと忘れていたのですけれど 確かに僕はこの道を歩いたことがあります。妹と一緒に散歩をしたり 買い物をしたりしていた記憶があります。今のように真っ暗な時間帯ではなかったけれど、小さな手と手をつないで 川の横をずっと歩いて 他愛もない話をしていたような気がします。

 そうだ そうだ この橋渡って 裏山の方へ歩いて それから西へ曲がって あの神社 あの鳥居 あの石段をずっと降りていって その先にある家に、僕は妹と一緒にいたのです。息せき切って石段を駆け降り、石塀に囲まれたその家の前に立つと、おぼろげな記憶が沼の底から頭を出しました。

 月の明るい 驚くほど誰もいない 静かな夜です。

 トタン屋根の粗末な家が 見るも無残な廃墟と化して 暗いよどみにたたずんでいます。粗大ゴミが打ち捨てられ、中には入れそうもありません。僕は朽ちかけた石塀を乗り越え、汚汁の溜まった洗濯機や冷蔵庫をわきにどかし 草いきれにむせながら玄関の引き戸を開けると メキメキと嫌な音がしました。

 中は真っ暗 何も見えず ところどころ破れた屋根から落ちる月影を辿るようにして、僕は家の奥へ歩いていきます。ミシリ メキリ 一歩踏みしめるごとに床が鳴る、腐った木と汚物と夏草のにおいが立ち込める廃屋の中 ゾワゾワした何かが胸へと込み上げてきます。

 確かにこの家で僕と妹は一緒に住んでいた けれど僕は廃屋に住んでいた覚えはない 妹と一緒に暮らしていたのは、どのくらい前だったのだろう。

 いつ僕は この家に来たのだろう。

 どうして僕らは この家に来たのだろう。

 妹はどうしていつも泣いていたのだっけ。

 ああ そういえば 妹はなんという名前だったっけ。

 ふと立ち止まった瞬間、床板が音を立てて抜け落ちました。ほこりが舞い上がり 頬を朽木がかすめ 尻餅をついた僕は、手をついて立ち上がろうとしました。てのひらが乾いた薄い陶器のようなものに触れ、驚いて手を引っ込めた僕は 月の明かりの中にソレを見つけました。蒼白い陰惨な月光が、犬用の小さな首輪を巻いた頭蓋骨を照らしています。この首輪は確か僕が妹に買ってあげたものだ 君にはきっと赤い首輪 似合うと思うよ そう言って 麻縄でガンジラメにした「妹」 名も知れぬ「妹」に巻いてあげたものだ 美しいなあ なんて美しいんだろう 確かあの時の写真をたくさん撮ったはずだけれど、「妹」がここでこうして骨になってしまうまでに きっと燃やすか何かして処分したんだろう 記憶から消し去ろうとして色々と試したんだろう 何しろ今までずっと忘れていたことだから それにしてもどうしてこんな大切なことを忘れていたんだろう? ああ、違う  れが 切じゃ ないか 忘れて まっ  だなあ

 

 

 

 ノブを回しなおしてみたけれど、やっぱり玄関のドアは開いていました。

 彼女が雑誌を片手に 呆れた様子でこちらを見て「おかえり」と言いました。

 

「気がついたらいないんだもん。夢遊病なの?」

「そういうことじゃあないと思うんだけど」

「でも、年に一度は必ずそうやっていきなり家 出て行くよね。理由を聞いても答えてくれないし。ちゃんと帰ってくるだけいいけど。理由は、本当にわからないの?」

「うん、全然覚えてなくてさ……やっぱり、これって病気か何かなのかなあ……」

「結婚前にちゃんと病院行った方がいいかもね。入院なんてことになっても見捨てたりしないから、安心して」

「そういうことを本人の前で言うのって、どうなんだろう」

「まあいいじゃない。入院するとなったらあんた、あれよ、保証人がいるよ。あたしが保証人になってもいいけどさ、あんた家族いたっけ?」

「あー、家族」

 

 僕はしばらく考えてから、「いなかったと思う」と 首を振りました。

 

死にたがり

 死にたがりの彼女は、カッターとおともだちです。手首や腕の血を見ると、安心したり 興奮したり うっとりしたりします。彼女は死にたがりの自分を変える気なんてサラサラなく、自分のことが嫌いと言いながら実際にはそうでもないので、夏でもノースリーブで 傷跡を太陽光線に晒すのが好きです。周りの人間はドン引きです。僕もドン引きです。

 そんな だいぶ困った人だった彼女がプッツリ消息を絶ってしまって 半年経った日、彼女の恋人が僕の家を訪ねてきました。

 彼はひどく憔悴したような顔で、脂汗を流しながら薄笑いを浮かべ 落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしていました。彼は家に上がるなり、堰を切ったように話し始めました。

 

「彼女はいなくなってしまったけど、生きているのだけは確かなんだ。毎晩僕に電話をかけてくるんだよ。毎晩毎晩、あたしカッターがほしいの あたしカッターの替え刃を買っていくのを忘れちゃったのって、僕に言うんだ。きっと手首切れなくて困ってるんだろう。もう切るところなんて残ってないってくらい、体中ズタズタにしていたのに」

 

 ふんふんと相槌を打ちながら、僕は 携帯電話取り出して 彼の入院してる病院の番号を押します。その間も 彼はしゃくり上げながらブツブツしゃべっています。

 

「僕の他にはカッターを通じて知り合った人しかともだちになれなかったから、きっととても淋しいんだと思う。淋しくて仕方ないから毎晩僕に電話してくるんだよ。僕、淋しくならないように、何とかしなけりゃならないと思うんだ。どうしよう、どうしたらいいかな」

「僕は頭が悪いから、何も思い浮かばないですよ」

「そんなことないよ。彼女は君をすごく認めていた。いつでも死にたいって言ってたけど、僕のそばにいる時はリラックスしてくれていたから、気軽になんでも話してくれたんだよ。君はたいへん頭がよいから、きっと上手い死に方を教えてくれるって言ってた。面白い死に方、印象に残る死に方、こんなくだらない自己表現しか出来ないあたしにもきっとわかりやすい面白い印象に残る死に方 教えてくれるって 約束して」

「ああ、救急車の音が聞こえますね」

「ピーポーピーポー、彼女 この音も大好きだった。死にたがりの彼女は死の真似事ばかりしてたんだ。ね、わかるかい、死にたがりの彼女の死の真似事 迫真の演技 僕すっかり騙されてたんだ 死にたがりの彼女の死にたがりを信じ込んでたんだ ねえ 君にいいこと教えてあげるから 僕の遂げるはずの面白い死に方 印象に残る死に方 教えてくれないかな」

「病室で 首を吊ればいいと思いますよ」

「ピーポーピーポー。ありがとう いいこと教えてあげる 彼女の最期の言葉、『このキチガイ野郎! あたしは、本当に死ぬのは好きじゃないのよ』だった」

 

 ちょうどそこで救急隊員が駆け寄ってきて、笑いながら泣いている彼の両脇をガッシリかため、ズルズルと救急車に引きずっていきました。

 

 


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