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夜宵さまと僕 〜雅巳さんと僕編〜

 クリスマスだというのに朝から非常に憂鬱な気分なのは、きっと今日、どこかの誰かと一日中付き合わねばならないからでしょう。いえ、原因はそれしか考えられません。

 なにゆえこんなことになってしまったかと考えれば、それはもちろん、いつものあの方しかいらっしゃいませんけども。けども。

  朝起きて朝食の前に夜宵さまの分のコーヒーを淹れておりますと、二階から夜宵さまが降りて来られました。やけに楽しそうでいらっしゃいます。まだ午前八時だというのに既にドレスアップしていらっしゃいます。品の良いタイトな黒ドレスはポイントにバラをあしらった飾りがついていて、金の指輪とネックレスがいっそう映えています。魔女みたいです。

 

「何か言いやがりましたか?」

「ぎゃあ! 心を読まないでください! そして後ろから臀部をなでまわさないでください! 痴漢です! コーヒーがこぼれる!」

「破廉恥なのは『無許可に尻をなでまわすこと=痴漢行為』だと頭から思い込んでいるその前時代的な思想ではなくて?」

「無許可に尻をなでまわすのは明らかに痴漢行為です。強制わいせつです。刑法第百七十六条で六ヵ月以上七年以下の懲役刑に」

「それが前時代的というのですよ。第一、あなた、私の元で働く栄誉を授けられたときに交わした誓約書兼契約書できちんと就労条件が明記してありましたでしょう」

「……“主人の言うことには絶対服従”というアレですか……」

「それ以外に何か。もし 万が一 その処遇が不満でしたら辞めてとっととどこかに沈んでいただきますよ」

「いや辞めるだけで終わらせてください! 沈む!? 沈むって!?」

「いいからさっさとコーヒーの準備をなさい。まったく、あわてんぼうなのはサンタクロースだけで十分ですよ、わんこ」

 

 ウィットに富んだ暴言を吐かれましたが、今にも吹きこぼれそうなコーヒーを見てそんな考えは遥か彼方へ。火を止めつつ、ああそういえば、就職するときに誓約書(兼契約書)を書かされたなあ と思い出しました。……白紙委任状も、書かされたな……

 ……今から考えますと、悪徳商法か悪徳金融並みですね。どちらにも悪徳がつくのが嫌な感じです。要するに犯罪なのですけど。

 朝食を終えて後片付けをしておりますと、夜宵さまが電話をなさっておりました。話を聞いていると多分もっと嫌な気分になると思いますので、あえて聞かないフリをして皿をこするスポンジに力を込めます。何が命ぜられようと元より僕に拒否権はありませんので、逃げることは出来ません。……恐らく、逃げようとした瞬間 どこから現れたものとも知れないマッシヴな兄貴等に脇を固められて秘密の地下室かどこかに連れ込まれるに違いありません。ああ、あり得そうだ。

 

「イベリコ」

「は、はい!?」

「何をそんなにおびえているんですか? そんなことより、後片付けが終わったのなら私についていらっしゃい」

 

 妖しい笑みを浮かべながら言う夜宵さま。一瞬 世界が遠くなります。

 立ち尽くす僕の手をムンズとつかんで、夜宵さまは玄関の方へズンズン歩いてゆきます。……僕はどこへつれていかれるのでしょうか……

 元はといえば、クリスマス前に夜宵さまがどこかのどなたかと電話されているとき、なぜか決まってしまったレンタル話が発端です。いえ、レンタルかどうかもよくわかりません。ともかく、呆然とする僕に電話の相手に一日付き合ってきなさいという命令が不敵に微笑む夜宵さまから容赦なく下ったのでした。……クリスマスには、飲み会が……あったのですが……

 玄関前に止まっていたのは、黒塗りのロールスロイス。フロントガラス以外すべて磨りガラスなのがとても気になります。……あ、いえ、よく見れば夜宵さまの自家用車(八台目)でした。ちょっとホッとしていると、運転席の窓がスルスル開いて、見知った顔が登場。

 

「よぉ、イベリコ」

「ま、ま、雅巳さん!?」

「ああ。お前の大親友にして八割方モグリ医者という危険な立場の奥村雅巳さんだ」

「テメェでテメェにさん付けして楽しいですか、雅巳さん。それより何があったのでしょう。いまだに状況がよく理解できないのですけど」

「クリスマスだからプレゼントをもらいに来たんだ」

「雅巳さん、サンタクロースはよい子にしかプレゼントを配らないのですよ。よい子とは地球とイスカンダルの星間距離くらいかけ離れている雅巳さんではプレゼントなど望むべくもありません。ましてや年がら年中 貧乏にあえいでいる僕のところへモノをもらいに来るなんざ愚考もいいところで あの 夜宵さま? 何で無理やり後部座席に僕を押し込んでいらっしゃって うわっ! 言ってるそばから急発進しないでください雅巳さん! 足! 足はみ出てますから! ドア 開きかけですから! ていうか雅巳さん 日本の車の普通免許持ってるんですか!?」

「多分 漏ってるんじゃないかな」

「いや多分じゃ駄目でしょう! あと『持ってる』のアクセントがだいぶ違ってます!」

「フゥ……今日の犬はよく吼えやがる」

「何かっこつけながら暴言吐いてんですか!」

「真面目な話、これ以上 俺に話しかけると交通事故で即時帰天する確率92%超だ、イベリコ」

 

 『帰天』っていつのまに雅巳さん キリスト教徒になったのですか と心の中で思いっきり横突っ込みをいれつつ、雅巳さんと心中するのはまっぴらなので黙りこみます。いや、事故を起こされた場合、夜宵さまからこの世の者とは思えないほどの満面の笑みで射殺されてしまいます。僕が。

 今更ながら、僕は何故この人と友人なのでしょう。いえ、友人ではないですね。そんな関係は遠い昔に捨て去りました。

 

「なんだかワイセツ極まりない物言いだな」

「心を読まないでください。そういうことを考えるあんたの頭がワイセツ極まりないこと山の如しですよ」

「そう言うなよ。昔から俺の友達はお前とキウイの義男君だけだったんだから、お前に見捨てられたら」

「キウイ!? 果物の!?」

「まあこないだ腐ったけどな」

「食べりゃいいじゃないですか! ……いや、そんなことどうだっていいんですよ! 前! 前見てください! 今 信号をものすごいスピードで突っ切ってもうすぐで老人を轢き殺すところでしたよ!?」

「そうか。まあそんな日もあるさ」

「重大犯罪者になる日なんて一切なくていいんでいいから前見て運転してください! つーかしやがれ!」

「まあ落ち着けよ。もうすぐ着くんだから」

「落ち着けないのは誰のせいだと思ってるんですか! ……くっ……はー、はー……柄にもなく興奮してしまった……」

「興奮しても既に俺は既婚者だぜ」

「僕が雅巳さんに興奮するなどアドルフ・ヒトラーが女だったってくらいあり得ません。そういう誤解を招きそうな発言をかまさないでください」

「いいじゃん、車内では俺とお前しかいないんだし。誰にはばかる必要がある」

「僕にはばかってほしいです」

「心の片隅に置いておこう」

「念頭に置いてください」

「あ、着いたぞ」

 

 えっと思って窓を下げて見てみますと、……おや、ここは雅巳さんの家じゃあ ありませんか。借家でもここまではいかないだろうという見事な苫屋っぷり、見間違うはずもありません。

 

「雅巳さん、これは一体どういうことなのでしょう」

「こういうことだ。いいから降りろ。降りないと密かに入手したお前のDNAを用いて世界初のクローン人面牛・件(くだん)を誕生させてやる」

「微妙に冗談になってない脅迫をしないでください。ただでさえ日ごろから雅巳さんの医者にあるまじきマッドサイエンティストぶりを見せ付けられて辟易してるんですから……降りますよ、降りればいいんでしょ」

「わかってるじゃないか」

 

 まるでこたえていない様子の雅巳さんに、嫌な予感とストレスが降り積もってゆきます。どうして僕の周りの人は、通常の三倍のストレスをかけさせる人たちばかりなのでしょうか。僕の見る目がないだけですか。

 車から降りてみますと、玄関の所に誰か立っているのが見えました。おや、と思ってよく見てみれば、雅巳さんの奥さんです。そういえば何度か見かけているのにいまだに名前も知りません。

 雅巳さんは先に車を置いてくるからと言い残し、僕が降りたとたんに急発進して電柱に激突しそうになっていました。心臓がさっきから不自然なほどに脈動しっぱなしなのですが、本当にあの人は自動車教習所に通っていた経験があるのでしょうか。はなはだ疑問です。

 

「イベリコさん! あんなんほっといていらっしゃい」

 

 奥さんが手を振って声をかけてくれたので、まだぬぐいされない不安を抱えながらもお宅にお邪魔することにしました。

 雅巳さんの奥さんは、大変美人です。雅巳さんは昔から「美形だけは信用できない」となかば怨念めいたポリシーを持っていた人でしたから、奥さんの顔を見た時は、雅巳さん どうかしたんだろうかと思ったものでした。あれ以上どうにかなりようがないと思っていたのに。

 おじゃまします、と玄関から中へ。内装も相変わらずボロいです。暗いです。そして、汚いです。あちこちに物が散乱し、時折 不吉なカサカサ……というゴキ様の足音に似た音がします。カサカサ……だけでなくトトトト……という音もするので、多分 ネズミもいるのでしょう。家の中はさながらお化け屋敷のような様相を呈しています。

 居間(らしき部屋)へ通され、お茶を出されました。雅巳さんはまだ帰ってきません。奥さんは、積みあがった衣類の上に堂々と腰掛けてお茶をすすりつつ僕に話しかけました。

 

「ごめんね、汚くて」

「……い、いえ、そんなことないですけど……」

「あら、いいのよーお世辞なんて。雅巳、戦地から帰ってくるたびになんか色々もらって帰ってくるから、そういうのがたまっちゃって たまっちゃって。コレなんかテントなのよ」

「て、テント? うわ、汚い!」

「これはソマリアで野宿しながら診療してた時のヤツね。汗と砂まみれで、いまだに洗濯していないの。おっさんのワキガに匹敵する恐ろしい最終兵器よ」

「随分しょぼくれた最終兵器ですが、何で洗わないんですか?」

「……それがね……その……私、昼間は働いてるから、家事するのは雅巳しかいないのよね。ていうか雅巳が働かないから家事なんかしてる暇ないほど働いてんの、私。けど雅巳、家事より自分の研究の方を優先するタイプじゃない。医者のくせに研究者気取りなんて馬鹿やってんじゃねえ一秒以内に死ねって感じだけど、研究に没頭してどんどん部屋が汚くなっていって、気がついたらこんな有様ってわけ」

「……お疲れ様です……雅巳さん、ほぼ無職なんですね……」

「戦地への渡航費用は誰が出してると思ってんのか、いっぺん聞いてみたいところね」

「しかし更生して真面目な医者になる可能性は限りなく薄いと思いますが」

「……そうなのよね」

「ええっと、ところで、何故 僕がここに呼ばれたのか お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「あ、そうね。ごめんなさい。実は……さっきも話したとおり、この家 絶望的なまでに汚いでしょ? だから、年の瀬ってこともあるし、大掃除しよっかなって思って」

「……お、大掃除? もしかして僕は助っ人ですか?」

「だ、駄目?」

「……あの、夜宵さまと電話で話していらっしゃったのは、もしかして」

「そう、大掃除でイベリコさんに助っ人に来てもらえないかって話」

「会話の最中に『切断』とかいう単語が聞こえたんですけど、あれは一体なんだったのですか」

「こういう悪しき習慣を断ち切らなければならないってことなんだけど」

「まぎらわしすぎですよ…… しょ、しょうがないですけど……雅巳さんも手伝うんですよね?」

「当然よ。むしろ手伝わないとかほざきやがったら剃り殺す。マジで」

 

 ……どこを剃るのかは聞けませんでした。

 結局その後、帰ってきた雅巳さんを引っ張り込んで大掃除開始。ボロ屋とはいえ二階まである家を隅から隅まで掃除してしまおうと言うのですから、そりゃあ 二人では無理なはずです。第一、雅巳さんと奥さんが二人っきりで掃除していたらたちまち血で血を争う夫婦喧嘩が勃発して、掃除どころじゃあないです。いや、僕がいてもやってますけど。

 ゴミ袋の中にすっかり腐りきったミカンを詰め込みながら、すさまじい勢いの罵倒(十割方奥さん)を背後に受けていると、なんだか別世界にトリップしたような気分になれるから不思議です。

 ああ、僕は何をやっているんだろう。目の前を本日五十二匹目のゴキ様が駆け抜けていくのを見て、なんだか何もかもむなしくなってきました。もはや退治する気力もありません。むしろこのゴキ様は大切な家族として温かく見守ってやってほしいと思いながら、爽やかに見なかったことにします。

 

 そしてひたすら馬車馬のように働くこと、実に八時間。

 

 ……無理でした。

 一階はなんとか隅々まで片付いたものの、二階は物がみっちり詰まっていて、入ることすら出来ない状態。片付けようとしたそばから出るわ出るわ、ネズミだのヤスデだの禍々しい生き物とこんにちは。図鑑に載っていなさそうな虫もたくさんいましたが、もしかして新種でも誕生していたんじゃないだろうか。遠のく意識の中、ふとそんなことを思いました。

 精も根も尽き果て、もう勘弁してくださいと土下座すると、さすがに哀れに思ったのか奥さんが「じゃあもういいですから」と言ってくれました。

 

「お疲れ様ー。それじゃあ一息いれましょう。ちゃんと今は窓も開きますから、風を入れて」

「あれ、雅巳さんは」

「今 二階でネズミ退治してるはずよ」

 

 そういえばさっきから天井がガタガタうるさいのですが、雅巳さんだったのですね。……ああ、何かごっつい悲鳴が聞こえるような気がするけれど、きっと家鳴りとかそういうたぐいの音でしょう。

 奥さんに入れていただいたお茶をすすりつつ、格段に広くなった部屋をながめてわずかばかりの達成感を味わうのは、やっぱりいいものです。その代償は小さくありませんでしたが。

 

「あー、お茶がおいしいです。どうもありがとうございます」

「いえいえ、お礼を言うのはこっちの方だもん。本当にお疲れ様でした」

「そういえば今日はクリスマスですが、奥さんは雅巳さんと何か特別なイベントなぞ」

「いやあ……キリスト教じゃないトコばっか行ってたってのもあるけど、あんまりそういうことに興味ないのよねー。大体、雅巳があの性格でしょ。アレは恋人と特別なイベントをするようなタマじゃあないよ」

「なるほど……それを聞くとますます不思議なのですけど、どうして奥さんは雅巳さんと結婚されたのかお聞きしてよろしいですか」

「いいよー。あのねえ、私が思いっきり顔面殴って病院送りにならなかったのは雅巳が初めてだったの」

 

 ……似たもの夫婦なのだな と思ったけれど怖くて言えなかった、そんなクリスマスの午後。

 来年はもっと穏やかに過ごしたい。切実に。

 


 

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